<いのち>の授業 高尾レポート
  

命の教育  鶏の解体実習
久留米筑水高等学校 高尾忠男       
            
 1 導入の経緯

 (1) 時代背景

 現代の若人の命に対する価値観の欠落(自殺、青少年犯罪、いじめ等)が社会問題化しています、特に平成9年神戸の連続児童殺傷事件を機に「命の教育」の重要性が叫ばれています。    
  それ以降もバスジャック、一家五人殺傷事件、タクシー強盗殺人事件等挙げれば切りがないほど、年々青少年犯罪が続発し社会問題の緊急課題になっています。     
  情報化社会の発展は著しく、IT時代とも云われています。人間が生活する表面の環境そのものはもの凄い勢いで発達しています。
 反面、人と人との心を繋ぐ貴重な自然環境(家庭、地域、社会)は大きく変容し、表面の綺麗さや日常スタイルがもてはやされ、その結果、自己中心的なアンバランス人間を一部誕生させ、人としての一番基本的な「心の文化」が忘れ去られています。
  そして今では想像もつかない(心の病を持った)青少年が「キレ」の現象を起こし、凶悪な犯罪が続発し家庭や周りの人達を巻き込んだ悲惨な事件が起きています。

 (2) 導入

  ある時、本校教師数人でこれら青少年の犯罪の凶悪化など倫理観の荒廃化の原因は、家庭教育か、それとも学校教育か、社会教育か論じました。
  先ず教育現場の教師として「心を育てる教育」「命を大切にする教育」はできないものか、特に現在、本校農業系三学科のうち、食品流通科1年2組の科目「農業基礎」の中で、一学期はトマトの栽培、二学期は白菜の栽培、9月下旬よりブロイラー飼育(入雛〜飼育〜出荷)を実施しています。  
  この中で表情の無い植物よりも、生きた感情を素直にだすブロイラー飼育をとおし、飼育、解体、試食の体験活動をさせることにより、「命の尊さ、命の重さ」「食べ物のありがたさ」を理解させることはできないか、今の若者に一番欠けているのはこれではないのか。
  それではこの実習を今年から実施したらどうであろうか、特に青春時代の高校生達は二年後には社会に巣立ち、中には近い将来結婚し家庭を持つ人もいます、今、高校でしかできないブロイラーの教育を実施することが、最後の大事な教育ではないかと思いました。
  今までは、自分の心の葛藤ばかりで多数の問題点も有るし決心できませんでしたが、これを前向きに論議し後押しをしてくれた仲間の教師のお陰で、心強く思い「よし、やってみよう」と「善は急げ」だ。    今の1年生は来年は体験できないのだから、平成8年度、それも途中から変更し実施することにしました。

 2 ニワトリ飼育の目的

  人間生きていくためには生き物の命を食べなくては生きてはいけません、いくら世の中が進んでも土・車・電気製品など、他の機械・装飾品は食べられず、即ち、命以外の食べ物で人は生きていけないと云うことです。
  しかし、恵まれた生活環境の中、過保護に育てられた飽食時代の若人達には、自分達が掛け替のない命を「いただいている」と云う実感は全くありません。
  それを学ばせるためには、自分達が日々愛情を注いで育てたブロイラを、自ら殺し試食させることにより真の「命の尊さ」「命の重さ」を体験させることができるのではないか、そうすることで先ず「自分の命を大切」にし「周りの人の命も大切」にできるようになると思います。
  子供たちの個性を伸ばしながら、心豊かな社会を創造していくために、自ら学び自ら考える力等を育成するとともに、正義感、倫理観、美しいものに感動し、自然を大切にする心、「時代を超えて変わらない価値あるもの」を培うことにより、他人を思いやる心、基本的な倫理観、自己抑制力、自立心等が培われ、「心の教育」に必ず役立つと思い、こららの項目をニワトリ飼育の目的にしました。

 3 問題点

  (1)「命の尊さ」と相矛盾はしないか?
  この実習を開始するに当たり当然、生徒たちが愛情を持って育てたニワトリを自分達の手で「殺して食べる」、このことは「命の尊さ」と相矛盾はしないか?
  (2)「情操教育」に本当に役にたつのか?
  ニワトリを殺して食べるという一連の行為は、小動物から大動物、結果的には人間へとエスカレートし「残酷悲惨」、意図しない方向に発展し取り返しの付かない結果になりはしないか?
  (3)家庭からの反応
  昔であれば、ニワトリを飼い解体し食べることは一般的な家庭での光景でしたが、世の中が多様化し核家族化した現代では、どんな反応があるか想像も付きません、とんでも無いことだと云われるか も 知れません。
  (4) 生徒の説得
  過去に(平成3年頃)(私が赴任する数年前)解体実習が行われ当時の担当教師が模範演技でニワトリの頸動脈を切って見せたら、生徒はニワトリが暴れる姿や、頸動脈から流れる多量の血を見て、こんな残酷な非教育的ことを学校でやっても良いのか、自分達は絶対にしない、とパニックになり、その実習現場から逃げ出し指導不可能になった。
   それ以降、解体実習はできなくなり、成長したブロイラー解体業者に出荷することになった、と過去の経緯を伺っていました。
   更に、この「命の教育」を実施しょうと決心した時はすでに、平成8年度ブロイラーの飼育は、スタートして約1ヶ月経過していました。当時の1年生には今までの実習内容の説明をしていましたので、当  然その気持ちで取り組んでいますから、生徒達にどのように説明し納得させるか……、今年実施できなければ、来年できると云う保障は全くない、何とか今年実施したい………、苦悩しました。
  いろいろ考えると気が重くなりましたが、とにかく大変なことではあるが、大切なことをやろうとしているのだから、「誠心誠意」気を入れて一生懸命話をしてみよう、いろんな難しい問題も有ろうが、ダメでもともとだ。
  「命の尊さ、重さ」を生徒に話しすることでも大きな意義が有り、少しでも目的が果たせるのでは、と思ったら気が楽になりました。

 4 事前指導

  「人間としてこの世に生を受けたことを、本当に幸せと思い感謝しましょう」このことを基本にして生徒に話をしてみようと思いました。
  準備不足で、生徒達がどれだけ理解してくれるか分かりませんでしたが、幾つか自分で考えたことを整理しながら授業に臨みました。
  早速次の授業で、今年のブロイラー飼育は解体実習、試食まで行いたいと思いますと説明を始めたら、とたんに質問意見が噴き出しました。
  (1)昨年まではしないで、今頃になって自分達から何故するのですか?    
  (2)先生、自分達が一生懸命毎日育てているニワトリを、自分の手で何で殺すことができますか?それを食べるなんて絶対にできまん。
  (3)血を見ることは恐くてできない、絶対イヤだ。
  日頃とは全然違った、生徒達の真剣な態度、目付きで殆どクラス全員からもの凄い猛反発がありました。
  予想はしていましたが、こんなに強い拒絶反応が生じるとは正直言って思っていませんでした。
  しかし、それもそのはずだと思います。(この当時は入雛〜飼育〜出荷) 生徒の気持ちを思えば、生徒達が初めて黄色いヒヨコと対面した時「ワー可愛い、縫いぐるみ見たい」と云って各人競ってヒヨコを抱きしめ「ほほずり」し、こぼれるような生徒の笑顔、感激した姿は今でも忘れることはできません。
   その可愛いヒヨコを飼育初めて1ヶ月程経過し、その間、斑ごとに当番を決めて毎日三回(朝、昼、夕、日祭日を含め、試験中)欠かさず、熱心に餌や水を与えて育ていますから、日毎に自然と愛情が生じペットみたいに可愛がっているヒヨコを、ある日突然、教師側の一方的意見で、解体し、試食しょうと云うのですから、クラス全員が真剣に反対してくるのは、人間として至極当然の気持ちだと思いました。
  私は、生徒達の真剣なそして純粋な気持ちに、正直言って嬉しく思い、同時にこれなら生徒達を私と同じ気持ちにさせられるのではないかと思いました。
  何故なら、それだけヒヨコに心が入り愛情が移っているのであれば、私の話を理解してもらえると思ったからです。逆に愛情がなければ理解できないと思っていました………………。
  それは、人の一番大切な「尊い命」について真剣に話をするのに、気持ちを集中して私の話を聞いて欲しかったからです。
  生徒達のヒヨコを思う純粋な気持ちからクラス内の雰囲気が、命と云う一点に集中し、これは日頃の授業の雰囲気とは全く違う、全員が何故 今年から………したくない、血を見たくない、と云う真剣な同じ気持ちに有ると云うことです。
   私は日頃と違う緊張した気持ちで、教室内の緊迫した真剣な生徒に対し語りかけました。
  落ち着いて静かに先生の話を聞いて欲しい、君たちが現在元気に15〜16年間生きてこられ、今日もこのように幸せで居られるのも、だれのお陰だと思いますか?人間生きていくためには毎日3回食事をしますが、その食べている食べ物は全部命なんですよ、いくら世の中が進んでも空気だけで生きるとか、仙人みたいに霞を食べて生きてはいけません、生き物から命をいただいているお陰ですよ。
 このことを君達は空気見たいに思っていると思いますが、高校生ですからしっかり考えて見て下さい。
  ブロイラー実習を最初の予定から、途中変更することは悪いと思います、先ず謝ります。
  変更理由を説明しますと、あなた達と同じ現代の若者は一つしかない「命」に対する捉え方が余りにも軽視しています。その証拠に、取り返しのつかない青春時代の事件が多発しています、両親からいただいた「尊い命」を大切にしなければならないと云う気持ちを、この体験をすることにより、少しでも分かってもらうために、途中変更したいと思います。
  そんな体験で、できる訳はない「イヤです」と言う意見、それに同調する声も多数聞こえました。
  君達の命は自分だけのものでなく、家族(両親や兄弟、祖母)や親戚、周りの人達の心暖まる愛情と期待があるのですよ、高校生までに成長するのにどれだけの愛情が注がれたのか、考えたことがありますか。
  幼児の(0歳〜3歳)迄の両親(特に母親)の苦労は、殆ど誰も覚えていないために、自分一人で大きくなったように錯覚してはいませんか?
  赤ちゃんや小さい子供たちを一生懸命育ててある両親、特に母親の姿を見て、自分もあの様にして育てられたことを、もう一度考えてくださ い。
  君達は大きくなった頃からの記憶しか無いと思いますが、それまでに成長させることは並大抵の苦労ではないのです。
  具体的に話をすれば、両親特に母親は約10ヶ月お腹の中で育て、お産をして、昼夜を問わず授乳やおしめを替え、何か身体に異常が生じれば、真夜中であろうが病院に連れていきます。
  食べ物は、健康に育つように栄養のバランスを考えて食べさせたり、そのお陰で今日まで元気に生きて来られたのです。
 それでは生命の誕生について、君達に私の方から逆に質問をします。
 このクラスの中で人間に生まれたいと思い、希望して生まれた人は居ますか、居ましたら手を挙げて下さい(シーンとなる)。
  手を挙げる人は居ないと思います、誰も居ないのですから、全ての生き物がそうだと思います。
  気が付いたら人間に生まれていたのです。
 先生の話を聞いて人間に生まれて良かったとは思いませんか。
  まさか、イヤ自分は他の動物、例えばニワトリの方が良かったと思う人は居ないと思います、君達が今大事に育てているニワトリでもそうですよ、気が付いたらヒヨコである訳です。
  君達は寒いと云えば暖房、暑いと云えば冷房の有る部屋で生活し、好きな物を食べ、好きな所え行き、衣食住、大変恵まれた生活をしているとは思いませんか。
  それに比べヒヨコ達はあんな狭いところで、臭くて過酷な環境で一生 懸命生きています、それも成長したら人間に食べられる運命とは、全然知らずに。
  人間は、少しでもイヤなことが有ると、悲観して直ぐに落ち込み自殺します。
  でも、ヒヨコは自らの将来を悲観して一羽でも自殺はしません。逞しく生きています。ニワトリに学ぶべきだと思いませんか。
  君達が一学期に育てたトマトの栽培も同じです、スーパーのトマトの味とは全然違う、こんな美味しい完熟トマトは初めて食べた、と云っていました。
  収穫するときはトマトは痛いと云っていたかも知れません、その証拠に芽を摘んだりしたときに樹液が出ていましたから、人間には理解できない音波を発しているかも知れません、命が有ると思います。
  しかし、人間中心の世の中ですから生きるために必要な生き物は、人間の価値判断で一方的に命を奪います。
  ここで、いただきますの本当の意味を考えてみましょう。
 人間は1日三回食事をします、その時に「いただきます」と言います、幼稚園や小学校の時、給食時間になると、食事の前に「お父さん、お母さんいただきます」と教えられました。そのとおりだと思います、ご両親が日々一生懸命働いたお陰で毎度の食事ができるのですから。
 しかし、もう少し深く考えてみると、私が生きて行くためには、貴方の命をいただかないと生きては行けません。
 すみませんが貴方の命をください、と言う「深く尊い」意味が含まれていると思います。
 その代わり食べたら今後どんな厳しい試練の中でも、その食べた生き物の分まで一生懸命生きる義務と責任が生じるのです。
 しかし、物が豊富にあり恵まれた環境に育った君たちは、食事の時好き嫌いをして食べ残したり捨てたり、「尊い命」を生ゴミにしているのです。
 この世界にはもの凄い数の生物がいます、大きく分けても空を飛ぶ鳥類、陸を走る哺乳動物、海や川に泳ぐ魚類、それ以外にも動く生き物を挙げれば数限りなく生息しています。しかし、それに生まれたいと希望して生を受けたものはい無いと思います。
 この世の全ての生きものは生まれる場所と、死に場所は自分で選ぶことはできないのです。それが運命なのです。
 毎日、とうてい数えることができない、もの凄い数の生き物がこの世に生を受けていることでしょう。考えて見れば私達全員、他の動物に生まれていてもしかたが無いのですよ。
 それでは、誰がその運命を決めているのでしょうか?………………
 もちろん、先生にも分かりません。強いて結論を出せば神様であろうと思います。
 一生懸命話を聞いていた生徒達は、初めて聞く話の中に次第に引き込まれ、クラス内の雰囲気は次第に落ち着いてきました。
 次に、人間の生命の誕生について話をしましょう。君達も知っているとおり、人の生命の誕生は通常1個の卵子に、1匹の精子が受精し、受胎し約10ヶ月で赤ちゃんが誕生します、卵子の排卵は通常の女性で月に一回で一生で約400〜500個(妊娠月数だけマイナス)。
 それに対し精子は通常の男子で1回に3千万〜一億匹、一生の間には500億〜1,000億匹(個人差は当然あります)と云われます。
 それも精子は二番目ではだめで、一番目だけです。
 生き物全てが種の保存と繁栄のため、最も優れた精子を選び抜くための試練と競争であり、滅亡を防ぐための儀式です。
 そのような運命的出会いから人は命を授かります、このように卵子と精子の受精するチャンスは、もの凄い天文学的数字の出会いであり神秘的です。
 このことを考えただけでも、人間に産んでくれた両親に、感謝するべきだと思いませんか。
 また、君たちマスコミで知っていると思います、世界には国勢不安定のため内乱が起こったり、食糧難のために多くの罪のない人達、子供や老人、特に、弱い人が沢山その犠牲になっています、そんな国に生まれたかも知れないんですよ。
 先生の身の上話をしましょう、私は戦時中生まれの7人兄弟姉妹の6番目、長男として生を受けました。姉が5人います(その当時は国政によりどこの家庭でも兄弟が多くいました)。
 現代の核家族では、余り聞いたことのないことだと思います。先生は今の時代では生を受けていない人間で有るわけです、ひょっとしたら他の動物に生まれて、人間に食べられていたかも知れません。
 それで、両親に感謝しています、本当にこの家の子供に生んでくれて「ありがとう」と。君達はどうですか?考えて見て下さい。
 ひょっとしたら両親に、日常生活のことで色々文句を言ったりして、親を困らせたりしてはいませんか?。
 元気な生徒に「君はどうかな?」と話しかけると、黙って目を逸らしました。他の数人の生徒も、何となく悪かったような態度が見えました。
 人間に一番近い動物は猿だと思いますが、もし君達が猿に生まれていたらどうしますか?
 また、猿が人間よりも知恵があり、万物の長で有ったら猿軍団でなく、人間軍団が猿の前で芸をしているかも知れません。
 さらに、いくら力が強い人でも、トラとかライオンにはかないません、それでも、人類が誕生して500万年と言われますが、他の生き物を支配しているのは、大昔の人から現在まで天災や飢饉、風水害、病気等幾多の困難を乗り越え、小さい命を永い年月鎖のように繋ぎ、人間の知恵「文化」を発展させ継承したお陰だと思います。
 もし、私達の祖先が誰か一人でも命が途中で亡くなれば、命の鎖が切れ、今の自分はこの世に存在していないのですから。
 また、もしかして、人間の知恵が他の動物よりも劣っていたら、他の食肉動物みたいに肥育され、スーパーで人肉として売られているかも知れません。
 今日を境に是非考えを改め、両親に感謝し自分を卑下しないでください。君達は超エリートですから、プライドを持って頑張って下さい。
 君達が日々愛情を込めたニワトリを解体実習し試食することは、今まで話したことを本当かどうか、体験をとおして理解してもらいたいからです。
 血を見るのは絶対にできないと云う意見が出ました。
 確かに誰でも血を見るのはイヤだと思います、好む人は居ません。
 しかし、スーパーにはお客さまのために、ところ狭しと綺麗にパックした肉が陳列されています、誰かが家族の生活のために一生懸命日々頑張ってあるお陰ですよ。日常的には目にしないことですが、貴重な仕事だと思います。その人達の仕事を侮辱しているとは思いませんか。
 (生徒は納得したような観念したような複雑な表情でした)
 それで、「いただきます」は生き物の命を「いただく」という意味を、真っ正面から考えて見たいと思い、解体から試食まで今年から実施したいと思います。
 何とか生徒は私の説明に納得してくれました。      
 家庭からの反応はしばらく様子を見てと思い、静観することにしました。
 これで、何とか生徒を説得することはできましたが、目的がきちんと生徒に伝わるかどうか心配は多いに有ります。      

 5 実施

 しかし、いよいよ解体実習をする日(12月6日土曜日)が近づいてくると、私と教室や廊下ですれ違う度に、寒いから当日は風邪を引いて熱が出るから休むとか、やりたくないから登校拒否をするとか、拒絶反応が出てきました。
 いよいよその解体実習当日になりました。当日は霜が降りかなり冷え込でいましたし、事前の拒絶反応も少し有りましたので、かなりの遅刻者欠席者が居るのではないか、と心配しながら予定どおり一時限目からの実習で実習教室に入りました。
 時間厳守で一人の遅刻者も欠席者も無く、クラス全員が高ぶる気持ちを押さえながら集合した姿を見て、安堵の気持ちと嬉しさがこみ上げ、同時に、日頃とは違う緊張した雰囲気で実習に気合いを入れて取り組みました。
 皆さんが毎日愛情を持って育てたニワトリの「尊い命」をいただく日が
とうとうやって来ました。中には昨晩は寝付きの悪い人も居たのではないかと思いますが、全く経験したことがないことを経験するのですから、それも大変緊張していると思います。
 二人に一人解剖刀を持ちますから真剣に怪我をしないように、先生の指示に従って用心して行動するようお願いします。
 本日の実習の目的と、スケジュール等を説明しました。
 当日は土曜日で特別時間割で、朝から実習を始め、終了するまで。
(時間が来たからと、途中で終わる訳にはいきませんから)。
 鶏舎に行きましたがニワトリは雰囲気で危険を察知したのか、何時もと違う動きでした。
 二人で一羽のニワトリを「ごめんね」と謝りながら捉え、羽根と足を縛り、いよいよ生徒達が一番やりたくないニワトリの頸動脈を切る瞬間です。
 (少しでも傷みを和らげるために、ニワトリの頭を強く叩き脳震盪を起こさせ、気絶している間に頸動脈を一気に切り、出血多量で殺します)。 先ず、教師が模範演技をするために生徒を集合させ、(緊張した顔、恐そうな目つきで渋々集まりました)、ニワトリ(模範演技用)の頭を叩き、頸動脈を一気に切り真っ赤な血が噴き出しました。
 切った瞬間、「キャー」と言う今までに聞いたこともない、まるで自分が殺されているような全員の凄い悲鳴が聞こえ、涙を流し泣いている女生徒も数名いました。
 2分〜3分すると切られたニワトリは、出血多量のため最後の瞬間(鶏体が激しく硬直し絶命します)を迎えます。
 見たくなくても絶対に見なさいと、生徒に伝えました。
『ニワトリが私達に「尊い命」を捧げて、天に召される「尊い瞬間」です』から。
 何とも言えない悲しい表情で、自分達が今から殺すニワトリを、まるで自分の赤ん坊を抱きかかえるようにして、嗚咽をしながら手を合わせて居る女生徒もいました。
 暫くして、次は、いよいよ自分達の番です。さー気を取り直してやって下さい、と指示をしましたが、やっぱり私には絶対出来ないと、しゃがみ込んで動かない女生徒も居ました。
 教師に諭されながら動きの悪い男子生徒達が、意を決したように取り組み始めました。
 事前に役割をお互いに決めていますが、生徒達はニワトリの頭を叩くのは初めてのことでままならず、ましてや、首を切ることはもちろん初体験ですから、「ごめんね」とニワトリに一生懸命謝り、次第に顔が青ざめ刀を握った手が震え、目が虚ろになりながら始めました。
 思い切って切らないと、ためらい傷は無いようにと、ニワトリの苦しむ時間ができるだけ短くしてあげるようにと指導しますが、なかなか思うようには出来ません。
 人は、恐いときは目を閉じますが、ニワトリは恐くても殺す人の目を見ます。ニワトリの目は、赤ちゃんの目と同じで大変澄んでいます。
 「助けて下さい、死にたくはない」と、訴えるようなその目を見て殺すことはとても出来ません。
 それでも勇気を出して、優しく片方の手でその怯える目を覆って、謝りながら「ごめんね」、頭を撫でながら涙を流し、震えながら恐る恐る、でも勇気を振り絞り、ためらい傷を数を多く作りながら頸動脈を切ります。 生徒達にとっては、とっても大変な勇気と決断です。
 なかには手や実習服に返り血を浴びた生徒、あっちこっちから悲鳴が聞こえ、気丈な生徒が泣きじゃくる友人を、自分も涙を流しながら慰めてやる姿が、沢山見られ、その場は、異常な空気と何か違う友人同士の心暖まる雰囲気に包まれました。

 6 脱毛

 ニワトリの羽根抜きです。約70度Cの熱湯に漬け大きい羽から素早く抜かなくてはいけませんが、自分達が切った傷口の周りの羽は、気味が悪いようでなかなか抜けないようです
(生徒達は少しは落ち着いては来ましたが、涙を浮かべ撫でながら、羽根を抜いている女生徒もいます)。
 7 解体

 教師の説明と模範演技を断片的に観念しながら、生徒は作業を進めていきます。
 一羽のニワトリを二人で解体しますから、足も羽も二つずつ有りますか ら必ずすること、見学者にはならないことをしっかり伝えます。
  まだ暖かい鶏体を初めて触り(今までは冷たい肉しか知りません)、 まだ生きているようだとお互いに話しながら作業をしている生徒も居ま した。 

 8 内臓の説明

 先ず、頭から食道、気道、と順序よく最後の総排泄口まで、まな板の上に並べ、気管や内臓の名称役割、鳥類と人間の違い。
 各人そのスケッチ、可食部内臓と不可食部内臓の分類。
生徒が家庭に持ち帰る肉
 二人一組ですから、各人モモ肉と、羽根身、ササ身各一個、三点セットで持ち帰り、家庭で夕食の一家団らんの際に、いたわりの会話(本日の実習の内容)がされ、命の会話ができるように願いつつ渡しました。

 9 試食

 予定どおり解体実習を終わり、残りの骨付き鶏体は、生徒が栽培した白菜を加え水炊きにして、いよいよ自分達が日々愛情を持って育てた鶏の「命をいただく」儀式となりました。今までとは違う本当の意味の「命をいただきます」を全員が合掌しました。
  食べる時はどんな反応を示すのかと、気にしながらの試食となりましたが、食べていましたので(一部消極的ではありますが)安心しました。
 美味しいと云って食べる生徒、渋々食べる生徒さまざまでしたが、中にはどうしても食べきらない生徒も数名居ました。
 食べ方を注意しながら見ていると、何となく味を確かめているような食べ方、骨など捨てるときは、殆どの生徒が日頃の捨て方と違う、そうっと優しく捨てている姿が多く見られました。
 食事が終わり全員で手を合わせ、「おご馳走様でした」と感謝の気持ちを込めて合掌しました。
 (今後の人生の中でどんな困難なことが有ろうと、逃げることなくニワトリの分まで頑張って人生を全うすると云う、責任と義務を全員で確認しながら)

 10 本日のまとめと反省

 君達は全員遅刻者欠席者も無く、涙を流しながら、我慢しながら大変良く実習しました、本日の初めての貴重な体験は将来絶対に忘れる事はないでしょう。
 今後の日常生活の中や、人生の中で必ず生かされると思います、又、必ず生かしていただきたいと思います。
 最後に先生のお願いを聞いて下さい。本日体験した解体実習の感想文を書いて欲しい。
 理由として、私もこの実習は悩んだすえに実施しましたので、君達全員の誠の心の中を知りたい。是非お願いします。
 例えば、命の教育にはならない、非教育的だから止めたが良いとか、先生に対する批判でも何でも良いから……。
 今後の参考にするために率直な感想を書い欲しい、と宿題にしました。

 11 感想文

 数日後、感想文が提出されましたが、あれだけ、猛反対したのを説得して実施した解体実習ですから、どのような感想文になるか、内心は不安な気持ちで読んで見ました。
 読んだ瞬間、生徒達の素直な心の内が表現され、何とも言えない、感激と嬉しさが私の体中に広まり、この解体実習を思い切って実施して「良かった」と心の底から、何とも云えない、この実習教育の素晴らしさ、大切さが実感として込み上げてきました。
 いやいやながら書かされる感想文と違い、この貴重な体験を、自分で自分の心にけじめを付けたいと思い、積極的に書く感想文は、読む人の心を打つことが、この感想文を読んで初めて解りました。
 大曲絵里奈「人間は何も食べなかったら、死んでしまいます、だからこうして動物などの命をもらって、生きていられるのです」。
 浅野隆「人間が生きていくためには、他の動物の命をもらって生きていかなければならない,という授業での話を、この体験をして本当に分かったように思う」「仕事として毎日やってくれる人がいるから、毎日いろいろな肉を食べられる」と言うことが本当に分かった。
 広瀬奈津美「一番に学んだことは、命の尊さと云うことを学びました。私はこの日のことを一生忘れないと思います」。
津田春菜「殺して初めて分かった、その生き物の分まで頑張って生きなきゃいけないし、食べ物を粗末にしてはいけない」。
 どの文章も大変素晴らしく、当初心配していた問題点 (1)相矛盾(命の尊さ、と殺して食べる)。 (2)情操教育、(3)家庭からの抗議なども有りません。
 この感想文を、高校生の思い出として、是非感想文集として残させて欲しいと生徒達に了解を求め、次回の情報処理の授業でワープロで打ち直し、手作りの文集が製本されました。
 この文集は君達の素晴らしい体験と、君達の素直な心の表現が理解されますので、必ず家庭で読んでもらうようにと説明し、 各人一冊ずつ渡しました。

 12 保護者からの反応

 実習後の保護者会や懇親会で、数人のお母さん達から、本当に家の子供に出来ましたでしょうかとビックリされました。以前、田舎ではごく自然の光景でしたが、今はなかなか体験させることが出来ないことですから。
 食事の時に「いただきます」は云ったね、と両親が逆に注意されましたとか、食べ残しや好き嫌いが少し無くなったようですとか、感想文についても、本当に自分の子供が書いたのでしょうか?日頃の生活態度からは想像も付きません、何か、子供の今までに見たことのない良い一面が見え、見直しましたと、驚いて読まれたそうです。
 今からも頑張って下さいと激励されました。

 13 第2回目から5回目のふ化〜飼育〜解体〜試食

 私は、来年からはもっと工夫を入れて頑張ろうと思い、担当職員と話し合って、次年度は種卵から始め、ふ化の瞬間(生命の誕生の瞬間)を生徒に見せました。
 ヒヨコにニックネームや名前を付けたりして、可愛がっていましたので、
 更に深い愛情(心)が入るように、6年目から種卵に自分の名前を書き入れ、自分の卵〜ヒヨコ、飼育、試食と連携させることにしました。
 別の卵を5日目と10日目に割卵をして命の営みを実感させましたら、心臓が動き、ニワトリの形が何となく見られる命の誕生、尊い命の源を初めて見た生徒の反応は、「ワー生きている」と驚きや感嘆のことばが一斉に揚がり、心臓が停止した時は悲しそうに「先生何とか生き返らせることはできないんですか」と、拝むような表情で見つめてきました。
 孵卵器の操作も、朝、昼、夕と1日三回手動にして転卵させ、生徒各人の生命誕生の責任と、クラス全体のチームワークを図る目的で、そのようにしました。
 種卵を孵卵器に入れて21日目、いよいよふ化が始まりました。ふ化の瞬間を初めて見た生徒達は、「ワー可愛い」「黄色くて縫いぐるみ見たい」「あの卵から本当に凄い」と体一杯に歓喜の表現をし、宝物にでも触るみたいに約45g位のヒヨコを抱擁しました。

 14 飼育

 いよいよ、飼育の始まりです。例年と同じくクラスを8斑に分け、1班15〜16羽、日祭日試験中(朝・昼・夕)自発的に当番を割り当てました。
 毎年のことですが、元気の良い生徒が「日祭日の世話もするんですか?」と質問があります。「当然です」。
 先生から質問をします、君達は休みの時に食事をしませんか?当然食べるでしょう、ヒヨコも同じです。
 ヒヨコは寿命短い代わりに成長が早く、同じ時間でも人の7倍〜10倍速いといわれます、と云うことは君達が1日世話を忘れたら、そのヒヨコ達は7日から10日間食事をされないことになります。
 仮に、君達が半日でも1日でも食事したくても食べられない時は、異常な精神状態になると思います、それが一週間から10日間続いたら、果たしてどんな状態になるか想像して見てください。
 全員一人でも忘れてないように、もし、体の変調とかその他急に行かれない人が生じたら、同斑の人に必ずお願いをするようにしてください。
 とにかく、今日より約60日間チームワーク良く、斑で責任を持ち頑張ってくださいと指導しました。
 生徒達は全員、ヒヨコの世話は忘れないようにしなくてはならないと納得して、ヒヨコの飼育が始まりました。
(教師側は育雛器の温度調節点検を含み、生徒の各斑記録簿点検は常に行います)
 このヒヨコは一週齢位までは可愛いですが、ブロイラーですから発育が早く、餌も良く食べる代わりに糞や尿、特にアンモニア臭(日々寒くなるから換気が悪くなり)が強く日々の餌、水やりが大変です。しかし、お互いに譲り合いながらチームワーク良く熱心に世話をしました。
(日祭日は、毎年のことながら遠方の生徒は、両親の協力があったようです)
 三周齢頃から少し雄、雌の区別がつき初め(一羽平均体重は440g)、雄は六週齢(生体重2.5Kg)頃から唄い始めます。
 週に一回、生体重測定、飼料摂取量、飼料要求率(鶏肉1Kg増体するのに何Kgの餌が必要か)等の記録をしながら飼育期間(60日間)が終わります。
 特に第4回目から自分の種卵に名前を入れ、ヒヨコになったら脚帯で自分のヒヨコで有ることを確認しながら、日々可愛がっていますから愛情が倍加し、解体する前日は生徒の精神状態は、前回までとは更に複雑のようです。
 解体実習前日の夕方、解体するニワトリを選ぶとき(貴方のにする?、私のにする?と悩みながら)。こんなに早く来るなら、もう少し可愛がれば良かったとお互いに呟きながら、絶食させるためニワトリを籠に隔離しました。(人間と同じく前日の夕方から水も餌も絶ちます)。

 15 公開授業

 昨年は公開授業(県教育センター主催、県下の小中高の先生方40名)、マスコミ(テレビ、新聞各社)総勢約60名の人々に注目され、例年と違う緊張の中で実習が始まりました。
 (その中で生徒と同じくヒヨコを自分の家庭で、家族ぐるみで育てて参加した、庄内小学校の永水セキコ先生は、当日成長したニワトリを持参され、生徒と同じ愛情心、精神状態で実習され、涙、涙の解体実習でした。特にその感想文は、読む人の心を強く打つ大変素晴らしい内容です)。
「人生43年間で、これほど自分の心に響いた、体験は有りませんでした。高校生と小学生の子供達も、命と云う貴重な体験をしたと思います」。
 飼育期間を思い出しながら、涙を流し切々と話をされ「この肉は家族で大事に少しずつ食べます、良い経験をさせていただき、本当にありがとうございました」と、お礼を述べられました。
 昨年までの生徒達の実習は、号泣に近い涙と嗚咽、悲しみをじっと堪える生徒の表現でしたが、今年は今までとは少し違うカメラ目線や、多数の先生方を気にした動きが見られ、昨年までの素直な感情が見え無くて、本来の目的である「心に響く教育」ができたのか、と生徒の反応が気になりました。
 昨年と同じように予定どうり無事に実習は終わりました。

 16 マスコミ

 マスコミの報道は速く、解体実習日の夕刊から翌日の朝刊に「卵から育てた鶏、涙で…命学ぶ解体実習」「命の大切さ生徒知った」「動物の命犠牲に人は生きている」「泣いたけど感謝の気持ち知った」のタイトルと、
手嶋達也君は「何故、自分の手で命を奪うのか。昨夜は分からなかったが、いい経験に成ったのかもしれない」。今村優子さんは「自分で殺したのだから、食べなきゃ失礼になると思う。命の大切さを知った」、音成杏美さんは「首に刃物を入れる時は『早く』と思っても、なかなかできなかった」と目を真っ赤にした、生徒達の談話入りで多く掲載されました。
 教育評論家・尾木直樹さん「単なる食品流通のプロセスを体験させるのではなく、『生と死』まで見つめさせるのは素晴らしい。批判があるとすれば、人間が動物の犠牲のうちに生きている事実を見ない中での議論で、実習を続ける学校に敬意を表したい」の、ありがたい評価をいただきました。 
 テレビでも、当日の実習風景が生々しく放映され、1年2組の生徒を始め学校全体、家庭や地域、同窓会関係者からもこの話題で持ち上がりました。

 17 反応

 その後開かれた同窓会役員会でもこの話題が盛り上がり、「農業高校OBとしては大変嬉しい、何故ならば、農業は命を守り育てるために存在する。しかし、今は農業をとりまく情勢は非常に厳しい、しかし、自分達はその中でも頑張っている。その中でこの授業は勇気を与える内容である、今後、益々工夫を入れて頑張って欲しい」。と言うありがたい激励の言葉を沢山いただきました。
 私も、一人のOBとして大変ありがたいことだと思い、来年からもしっかりやらねばと、心を新たにしました。

 18 裏話

 これは裏話ですが、年末年始の時期でもあり、マスコミによりそれを知った親戚の人達から、クリスマスや年始に、「学校の実習で新聞やテレビに出て良く頑張っとる」。と言って例年より多くのお小使いや、お年玉を貰った、と私に嬉しそうに話をしに来た生徒が数人いました。

 19 感想文

 心配された感想文は、今年も大変素晴らしい内容で、最初の頃から比較すると、年々生徒の体験や感想に深みが出てきたような、素直な気持ちが滲み出ている内容だと思います。 
 感想文も解体前日の心境の変化を載せ(第3回目から)、感受性豊かな高校生の心の葛藤が良く理解できます。
 「心の中はメチャクチャ、明日のことを考えると頭の中が真っ白、自分達が一生懸命育てた鶏を自分達の手で殺して食べるなんて」(高松季奈)
 「私達は、食べられるために犠牲になった命を貰って生きています。でもそれを当然のことのように思い込んで、食べ物を平気で捨てたり、嫌いなものは残したり、と命のありがたさを全く分かっていないことに気ずきました。でもこの実習を終えて、本当の意味での命の大切さが分かった気がします(合戸薫)。
 「この解体実習をとおして、命の重みと命の素晴らしさを学びました。この経験は絶対に忘れないだろうし、これからの役に立てたらいいなと思いました」(田川和典)。
 感心したことは、青少年犯罪が多発する時局について、自ら青少年の凶悪犯罪を憂える文章や、人生に生かそうと表現した感想文が数多く有ったことです。
「私達と同年代の犯罪が、なんで人を殺したり出来るか分からない。犯罪を起こした人達も私達と同じく、卵から育てたニワトリを解体してみたらどんなに命が大切かが分かると思います」(国分葵)。
 「この実習を終えて、命の大切さを知りました。最近の報道で同年代の凶悪犯罪が多発しているが、そのような人達はもっと生命と云うものを真剣に考える必要があると思います、私にとっては貴重な体験でした、一生忘れる事はないでしょう」豊福知子。
 「もう、痛いほど命の大切さを知ったから、自殺も今の私には考えられない、この授業を体験した人達は、他人を殺したり、自殺を考えたりしないし、できないと思う。それはニワトリが自分の命を使って教えてくれたことだ。もし、この授業を体験した人が、犯罪を犯したら、あの時殺したニワトリの命は無駄になったということだと私は思う。私は犯罪を犯した人は、命の大切さを知らないのだと思う。きっとその人達は『親』『友達』『動物』に命の大切さを教えてもらっていないのだ」坂井美沙子。
  真の「心の教育」とは「心に響く教育」だと思います、生徒の実習や感想文を読んでも分かるように、青春時代の高校生が涙を流しながら実習するのは、「心」即ち「魂」「愛情」が入るからだと思います。 
 この実習ほど、体験する前と後では全く違った心境になる授業は無いと思います。それは約80日間、入卵、ふ化即ちニワトリの生〜死を短期間に実習することにより、人間が生きていくための一番の根幹をあらためて学ぶことであり、体験してみた人でなければ理解できません。
 毎年、感想文は大変素晴らしく、読んで胸を打たれるような、若者らしい心の葛藤を表現しており、目的の「命の教育」「心の教育」に少しでも役に立つたのではないかと思います。
 生徒達は、この貴重な体験を、今後の人生の(家庭、社会、職場)中で、先ず「自分の命」を大切にし、周りの人を思いやりながら感性豊かな社会人に成長し、近い将来必ずや体験する子育ての中で、貴重な教訓として生かされることを願っています。
 青春時代の高校生が涙を流しながら体験した思い出を、記録として残したく今年も文集(第5号)としました。
 製本された文集は今年も各人一冊渡し、家庭に持ち帰るようにしました。

 20 各班による命の教育発表会 

 各班鶏飼育のまとめに入り、授業時間では不足でしたから、放課後残り、翌年2月17日「命の教育発表会」を開きました。
 各班スライドを使って、一年先輩の見る前で、先輩からの厳しい質問も有り、8斑共一生懸命の発表内容でした。
 各班共、甲乙付けがたい発表内容でした。その中で、当初から心配していました、実習当日の見学者の態度を、生徒達は敏感に察していました。
 発表の中で、「私はニワトリには触れない」と云って、汚い者を見るような視線を私達は忘れることは出来ません。命を捧げてくれたニワトリに対し、何を考えているのでしょうか?
 しかし、このような人達は実際に私達のように体験していないので、理解されないのは当然だと思います。それで、そのような人達に、この「命の教育」を理解してもらえるよう、今後、努力しなくてはならないと思います。
 本当に、素晴らしい発表です。
 実習見学者の姿が生徒達にどう映るか、の当初の心配は的中しました。僅かの人とは思いますが………。
 非常に残念でした。

 21 新聞発表 

 これも翌日の新聞で「ニワトリ解体実習『命』知る久留米筑水高一年生が発表」。生徒の談話入り。 時義明君ら五人は「実習前、解体に反対する意見が出た。『命を奪ってまで、学ぶことはない』と思ったから」と打ち明けた。反省点として、水炊きを残したことを挙げた。「命を粗末にしてしまった」。
 音成杏美さんは「私達と同じような『命の大切さを学ぶ』体験をすれば絶対に犯罪を起こすことはないはず」と力を込めた、と報道されました。

 22 講演依頼

 本校にとりましては大変素晴らしいことで、命の教育がマスコミの影響で地域社会に広まり、新学期になり小学校より、命の教育についての講演依頼が相次ぎました。
 私は、校長、教頭、教科担任と相談しながら対応し、この貴重な命の教育を実際に体験した生徒と一緒に、出前授業に行くことになりました。
 何故なら、一人の大人が小学生に話して聞かせるより、ほんの数ヶ月前に、「命」について貴重な体験した高校生がスライドを使って発表する。 そして、それを聞いた小学生と、高校生、若者同士が「命」について質疑や討論することの方が、単なる講演より、もっと素晴らしいのではないかと思いました。
 小学校の校長先生は「若い者同志、命について話すことは大変素晴らしい、是非その内容でお願いします」と、快諾していただきました。
 発表に行く生徒は、2月の研究発表会で一番に成った斑と、事前に決まっていましたので、改めて発表準備に取りかかりました。
 研究発表と違い、内容は小学生5,6年生相手の「命の教育」ですから、基本的に発表内容を構成仕直し、早朝、放課後と連日練習に取り組みました。
 生徒達は女生徒5人(内吉井町の隣町、田主丸町方面が3人)。
 何しろ初めての体験ですからどんな質問が飛び出すか、どのような雰囲気になるのか、全く想像もつきません。
 生徒達は不安がって「どんな質問がありますか」と」私に聞いて来ましたが、君達は貴重な体験をした、そのことを素直に表現すれば良いのではないですかと、私も初めての経験ですからそれ以上のことは指導出来ませんでした。
 事前には、予想されるであろう質問項目をプリントに記して、考えておきなさいと、その程度の事前指導しかできませんでした。

 23 第一回出前授業

 9月12日(水)14時10分〜15時(浮羽郡吉井町立吉井小学校〜5,6年生97名・来賓・保護者40名・新聞各社・計約150名)
 4限目より、出発する前に生徒達の心の準備をさせ、出来るだけ精神的に落ち着くように、もう一回練習しました。
 吉井町吉井小学校、多目的ホールに14時00分開始の30分前に、緊張の中到着し、校長先生始め吉井町教育委員長、大坪元高校長、他来賓数名に紹介されました。
 小学生5・6年生約100名、保護者、10数名、先生方約10名、総数130数名の中、紹介後、いよいよ発表が始まりました。
先ず、私から、命の教育を始めた理由,現在までの経緯を簡単に説明しました。
 次に、昨年の命の教育が、初めて聞く人達に良く理解されるように、卵〜ヒヨコ〜飼育〜解体〜試食を始めから取材された、昨年(12月12日)のテレビ放映を(約5分間)行いました。
 その後、昨年体験した女生徒5人が、タイトル「感謝の気持ちは心を込めて」。サブタイトル「鶏からの贈り物」で、スライドによる発表を約10分間、緊張の中熱を入れて一生懸命発表しました。
 私は、何しろ初めての「出前授業」ですから、先ず、授業を受ける小学生の反応態度を注意しながら見ていました。
 内容は、ニワトリ解体実習を通して体験した「命の大切さ」「命の重みや、尊さ」「食べ物のありがたさ」「いただきます」の意味最後は、最近の高校生犯罪や、幼児虐待など時局について、高校生らしく新鮮な感覚で斬新的な発表をしました。
 大変分かりやすく、聴衆の小学生は微動だにせず、一生懸命「高校生のお姉ちゃん先生」の発表に聞き入っていました。
 最後は、私も初めての体験でどのような展開になるのか一番心配していました、授業した高校生と、それを受けた小学生との質疑応答に入りました。
 予め、答弁は全員で出席番号順で行うことに決めていました。何故なら、全員が体験した貴重な、ニワトリの解体実習と、それによる本日の出前授業ですから、各個人思いは違っても答えることは出来るし、又、答えることで、生きた勉強が出来るのではないか考えたからです。答弁は全部生徒達が答えるように、先生に振らないように、と事前指導しました。
24 質疑応答
 発表後、質問が始まりました。
 「鶏の頸を切る時に、手が震えたと発表されましたが、結果的には切ったんでしょう、手の震えを振り切った気持ちは何ですか?」、小学6年生と思えないような、鋭い質問が有りました。
 質問された高校生は一瞬驚き「ちょっとお待ち下さい」といって、5人が相談し、答弁順番の生徒が代表し「その震える気持ちを振り切ることはどうしても出来ませんでした、しなくてはならないので切りました、やる前と、切った後では、言葉として表現は出来ませんが、何か貴重なことを体験したように思います」。
 質問する小学生も大変立派です。それに答えた生徒達も体験した人しか答えられない、これも素晴らしい答弁えでした。
 他の質問も「命」を中心にした数多い質疑のやり取りが、予定時間いっぱい続きました。
 それも10歳前後の小学生と、今何を考えているか分からないと云われる青春時代の高校生が、このような「命」を基本にしたレベルの高い質疑をする。
 こんな機会が持てると云うことは、その会場の状況、雰囲気を肌で感じながら、何と素晴らしいことか、と心の底からこみ上げる嬉しさ、いじらしさ、逞しさをひしひしと実感しました。
 このような素晴らしい発表の場を与えていただいた、小学校の校長に衷心よりお礼を申し上げて、本校に帰校しました。
 帰校の車の中で、生徒達を慰労し感想を聞いたところ、「私達の発表内容を、質問の内容からして大変良く聞いて、理解してもらったんだなと、大変嬉しかったです」。
 又、「小学生とは云えない鋭い質問が、次々と出て、自分達も大変刺激になり、勉強になりました」。
25 吉井小学生感想文
 数日後、出前授業に行った、小学生の感想文を読ませていただきました。「自分達が卵からふ化したヒヨコを育て、そのニワトリを殺して食べる時、『いただきます』を云わずには食べれなかった。と高校生が発表した言葉がとても心に残りました。
 『いただきます』の本当の意味、『命の大切さ』、動物への感謝の気持ち、いろんな事を教えてくれてありがとうございました」。
 「『命』と云う世界にたった一つしかないものを、平気で殺し、命を奪っていく人はおかしい、それでこの考えを、この話を広げていってもらいたい」。
 どの感想文も小学生とは思えない、読んでいて大変感銘を受ける内容でした。
 これは、常日頃からの小学校の教育の結果が、人間としての一番基本的な純朴さ、素直さを育んだ結果として、こんな素晴らしい感想文が書けると思います。
 この出前授業は前記したように、発表した高校生やそれを聞いた小学生にとっても、実施して良かったと思いました。
 次回の発表は10月中旬ですから、前回を参考にしながら準備をすることにしました。
 発表者は、クラス全員がこの同じ貴重な「命」の体験をした訳ですから、外部に発表する機会は、出来るだけ違う生徒にも与え、更に、生きた勉強をさせたいと思い、別のグループを編成しました。

 26 第二回目出前授業

 10月17日(水)14時15分〜15時10分(浮羽郡田主丸町立船越小学校〜全校生徒130名・来賓・保護者・計約160名)
 あいにくの雨天でしたが、生徒達は緊張の中13時30分頃、小学校に到着しました。
 学校では掃除の時間で、全校生徒が両膝までついて、一生懸命校舎内を掃除し、明るい声で「こんちちは」と笑顔で挨拶をもらい、こちらも緊張の中、挨拶を返し感心しながら、校長先生のお出迎えを受けました。 
 前回も同じでしたが、何しろ、生徒達にとっては初めての体験ですから、発表時間が迫ってくると、発表者の女生徒は他の四人と違い、私の顔を見て「先生、心臓がバクバクします、破裂しそうです」と落ち着きません。
 「小学生全員の前で発表することは、貴方にとっても、大変な生きた勉強をしているのですから、深呼吸して落ち着いて発表しなさい。又、一生忘れる事の出来ない思い出になりますから」と、言い聞かせ生徒の気持ちを静めました。
 発表は前回と同じく進行しました。今回は低学年が聴衆していますから、静かに聞いてくれるかが心配でしたが、全校生徒微動にせず、集中して聞いてもらいました。
 吉井小学校と同様、生徒に対する日常的な教育指導のお陰だと感心しました。

 27 質疑応答

 発表が終わり、質問はありませんか、と進行係りの先生が云われたら、もの凄い質問の手が挙がりました。5〜6年生が中心ですが、低学年の一年生からまでも質問が有り、予定時間を30分ぐらいオーバーし、討議の時間を切るのもったいない位でした。
質問の内容は、鶏の頸動脈を切る時や、それを食べる時の気持ち。休みの時、世話をしに登校する時の気持ち。一番嬉しかったこと、悲しかったことは何ですか、等々。
 前回の吉井小学校の質問と同様な内容でした。
 生徒達は丁寧に、時には答に窮して額を寄せて、一生懸命に応えていました。
 一番印象に残った質問は、「又、ニワトリを育て、又、この実習をやりたいと思いますか?」。
 答弁は「二度としたくはありません、が違う生き物、植物等で命の重みや大切さを、周りの人に理解して貰えるようなことをやりたいです」。と応えていました。
 帰りに一人の小学生が、発表した生徒に「いただきます、本当の意味が分かったので、今日から忘れずに云おうと思います、今日は本当にありがとう」、とお礼を云われたました。大変嬉しかったです。来て良かったですと、大変喜んでいました。
 これが生きた教育だと思いました。

 28 出前授業のまとめ

 9月と10月の二回の出前授業をまとめてみますと、幼い年齢〜16歳の若者が、「命」を中心にした討議が出来る。このことは、人生は今からだ、という子供たちとっても大変意義有ることで有ると思います。
 このことで、日頃考えたことも無い、しかし、一番大切な「命」について、小学生と高校生が、大人数で率直な意見を述べ合うことは、私達大人から見ても大変感銘を受けるし、意義あることで有るし、又、微笑ましいことでもあります。
 きっと、この子供達はこの機会をとおして「命」を大切に、今後の人生を全うすると思います。

 29 まとめ

 今の若者達は何を考えているのか、全く理解できないと、大人達からの一方的偏見が有りますが、この感想文を読んでも充分解るように、私も含めて大人達は第一印象の、姿、形で今の若者を判断してはいないでしょうか?
 私はこの実習を実施してみて初めて、青春時代の若者が、表面には余り見せない本当の「芯の心」が少し解ったような気がします。
 本当は、素晴らしい心を内面的には持って居るのです。ただそれを表面に出す教育、機会、環境に恵まれて居ないだけだと思います。
 確かに僅かでは有るが犯罪を犯したり、世間を騒がせている若者は居ます、がそう云う若者特有のキレの状態で、取り返しのつかない大事件を起す人がいます。
 しかし、その後平常心に戻って必ず後悔をします。人には誰でも必ず良心が有りますから、生まれつきからの悪人は居ないと思います。
 何故なら、赤ちゃんの表情は誰が見ても無垢です。非常に穏やかな奇麗な顔で、その顔を見れば誰でも微笑み、声を掛けたくなります。人生の垢は付いてはいません。
 それが月日を重ねるごとに、周りの悪い環境(家庭、学校、社会)に次第に影響を受け、曲がった人格が形成されます。
 しかし、環境を作り出しているのは大人達です。本人では有りません。その環境の中で、一番大事なその本人の人格形成の時期に、心を掴み、悪いときは病気と同じく「早期発見、早期治療」し、「適切な教育」、魂を揺さぶるような、心から感動する教育、そのようなチャンスを全ての子供達に与えれば、今のような悲惨な若者の事件は起きないのでは無いかと思います。
 ニワトリの解体実習「命の教育」は、「心の教育」と云うことを基本に実施してまいりまた。
 今後更に、創意工夫をしながら、常に生徒を中心に日々精進を致したいと思います。 
 
 第17回 教育奨励賞(時事通信社)文部科学大臣奨励賞
  テーマ 「授業の革新」と「地域社会に根ざした教育」

 全国の小中学校及び高等学校の中から、創造性に富んだ教育を実践した学校に送られる時事通信社の、第17回教育奨励賞の受賞校が本校に決定しました。
 県内はもちろん、全国から本校の教育実践が高く評価され、大変喜んでいます。

 * 優秀賞の受賞理由 

 「鶏を卵からかえし、愛情を注いで飼育した上で、親鳥になったら自分たちで命を奪って試食する授業を食品流通科で実践。
 生き物の命と人間の宿命を感得することで、「生命の尊重」を「人と人との在り方」にまで昇華させていることを高く評価した。」
 身に余る最大の評価をいただきました。
 受賞内容は、本校食品流通科が六年前から取り組んでいる「命の教育」です。これは一年生が取り組んでいる「農業基礎」の授業内容で、ニワトリを卵から孵化して育て、生徒自ら食肉処理し、試食をとおして今の若者に一番必要な「命の尊さ」「心の教育」を学ぶ実習です。
 これが評価され、ダブル受賞となりました。
 受賞は本校にとって大変名誉なことであり、最初は幾つかの問題を克服しながら実践してきた担当教員にとっても最高の喜びです。
 この実習を実践しようと決意した当時を思い起こせば、よくここまで継続できたなと……。
 六年前、当時一年生40名、80個の私を刺すような真剣な嫌がる目付き、それを説得させようと、必死な表情の私との「真剣勝負」のクラス内の雰囲気、生徒がニワトリの命を絶つ時の状況、等々思いだし、感慨ひとしおです。
 先ず、それをこれまで支え励ましてくれた、諸先生方に感謝いたします。 特に、特筆すべきは、過去五年間、一人の遅刻、欠席者も無く、全員の生徒達が参加し、涙を流しながら一生懸命逃げないで、この「命の教育」に取り組んでくれた生徒達です。
 特に、その中でも、女生徒にとっては大変な実習であったと思います。
 もし、一人でも、一家庭からでも反対が有れば、私達はやる気を削がれ、途中で挫折したかも知れません。
 それよりむしろ、家庭からは、良い体験をさせていただきました。と、励ましのお言葉をいただき、これも今日まで継続してこれた大きな要因です。
 このような全ての人々に対し、衷心よりお礼と、感謝申し上げます。
 この「命の教育」は、これを機会に本校だけでなく、他の学校・家庭・地域社会でも、個々にマッチしたオリジナルの「命の教育」「心の教育」ができるのではないでしょうか。
 被害者、加害者を含め悲惨な事件を少しでも未然に防ぎ、将来の日本を背負う若者のために、傍観者になるのではなく、家庭の親、教師として、また、地域の中で人生の先輩教師として、是非、前向きに多くの方々に広めていただきたいと思います。  
 希望を!