鶏の解体実習 感想文

私の本当の気持ち
                                   食品流通科 一年二組五番  大嶋友美

 私の周りの人達は解体に反対しています。そんな中で私は自分の本当の意見を言う事ができませんでした。何故なら、皆と違いニワトリの解体に賛成だからです。反対する人の気が全く分かりません。
 理由は、私達は生きてくためにはニワトリ・牛・豚・魚を殺して食べています。誰かが裁いたモノを食べるのには何一つ抵抗はないのに、自分達がいざ殺すとなると、「可哀想」など言って、自分勝手だと思うし、矛盾していると私は思います。反対している人の話を聞いていたらイライラしていました。私は、解体して良かったと心から言える様に12月5日に取り組みたいと思っています。そして、解体後には感謝を込めて、ニワトリに「ありがとう」と言える様にしたいですす。

 「解体しての心の変化」

 私は解体前日まで、殺すのは仕方がない事。いくら可愛くても、涙まで流したりしないだろうと強気でいました。しかし、そんな気持ちは当日、大きく変化しました。
 解体当日、鶏舎の前でクラスを代表して、伶美の作文の発表を聞きました。伶美の一言一言が心にジーンと響いて、今から自分のニワトリを縛り、首を切り、解体すると思った時、すごくす悲しくなりました。 今まで、休みの日も学校に来て餌や水をあげたり・・・。
 私は最初の頃、 ニワトリが大嫌いで、触る事さえ嫌でした。最初は、本当に嫌でした。だけど少しづつ、触れる様になり、ニワトリが可愛くて、成長を見るのが1日の楽しみになってきた。自分の心の変化が大き<感じられました。
 そして、小屋に入ると、私のニワトリは、昨日から餅をあげてないので元気が無く、他のニワトリを羨ましそうに見ていたのを覚えています。私のニワトリは、足を縛る時鳴いたりしませんでした。 何か覚悟している様に見えしました。 その姿を見ると私はたまらなくなって泣いてしまいました。
 私がこのニワトリだったら、絶対泣き叫んで抵抗するのに‥・。ニワトリは強いなあと思いました。千奈津が抱いているのを見ると、切なくなって、昨日までの自分じやないくちい泣いてしまいました。

そして、いざト殺の時、みんなが泣いて、でもニワトリ達だけが静かに、自分の仲間が首を切られているのを見ていました。
私の番、手や足が震え、涙が止まらず、頭の中はパニック状態でした。 包丁でニワトリの頭を強く叩き、すぐに包丁で首を切ってあげなきゃいけないのに、私は何回も失敗してしましました。あんなに覚悟しているニワトリを、一回で痛みも感じ幸させないまま殺してあげたかったです。何回も頭を叩かれて、何回も刃物を向けられて辛かったろう恐かったと思います。その事が一番心に残り、後悔している事です。後、首を切った時の_手に残った感触は忘れられません。
首を切った後、ニワトリを逆さにして、血を全部引いてしまいました。次に、お湯につけて、毛を抜きました。私はこの時の光景が頭の中から離れません。ニワトリは縛麗な肌をしていました。
 いよいよ解体する頃には不思義と言えるくらい、みんな普通でした。 さっきまで泣き叫んでたのに。この冷静さは自分でもスゴイと思いました。
 ニワトリの肺や気管を並べて絵を描きました。肺は何一つ汚れてなく清潔でした。私も、この様に、綺麗な肺のままでいたいと思いました。
解体したニワトリを水炊きにして、白菜とのバランスがマッチして美味ししかったです。
実は、白菜が私は大嫌いで、最初見たとき、「絶対食べ」れない!」と思ってました。けど、本当に美味しいと思いました。
  私はニワトリに、「本当に」尊い命をありがとう」と言いたいです。
 私の中でこのような大きな「心の成長」があったのは、やっぼ解体をやったおかげだと思います。大きなニワトリまで育てるまでは大変だったけど、本当に解体をして良かったと思いました。
 どこかの小学校で解体を反対した親達に伝えたいです。何故なら解体する事は、心を成長させるよい体験だという事を。そして嫌でも「命の大切さ」「大きき」を感じる事ができるという事。
私は、この体験をしている時のみんなの顔、自分の気持ちを一生忘れないようにし、いろんな人々にニワトリを卵から育て、解体するまでに学んだ事を伝えていきたいと思います。
 そして、私は少しづつだけど、好き嫌いを減らして、自分の将来生まれてくる子どもにも好き嫌いの無い様に育てたいと思います。

チロルへ・・・ありがとう
                                       食品流通科1年 2番 秋吉 伶美
           
 鶏の解体実習を目前に控えて、数ヶ月前のことを思いだした。自分の卵を選んで孵卵器の中に入れ、休みの日も学校に登校して、転卵という作業を毎日数回行った。この頃は、めんどくさかった。
 入卵してから5日目と10日日に割卵をした。卵の中では、小さい心臓が一生懸命動いていた。何とも言えない気持ちだった。一体誰がこんなことを考えついたのか、辛くて悲しくて何とも言えなかった。
 21日後、ふ卵器の中を覗くと、もう何羽か孵化していて、ピヨピヨ鳴いていた。中には、せっかく生まれたのに死んでるヒヨコや孵化できなかった卵があった。生まれなかったヒヨコ達の分まで一生懸命世話をしたいと思った。
 先生からヒヨコを渡された。自分の手の中で幸せそうに眠っているヒヨコはとても可愛く、その時は、解体するなんて考えられなかった。
 育雛器に入れた後は毎日休みの日も餌と水をあげなきゃいけない。最初はそんなのイヤだと思った。一日餌やりを忘れたらヒヨコは何日間も絶食したことになると勉強した.そrwから毎日のようにヒヨコの様子を見に行った。体が少しづっ大きくなり、羽が少しづつ生え換わり・・・日に日に成長していくのが分かった。その小さな変化の一つ一つが嬉しかった。
 ヒヨコの成長にこともない、脚帯から翼帯に付け替える日がきた。「羽に金具を刺す」・・こんな事したくなかった。でも、それをしないとヒヨコの足には傷が付くので頑張った。羽に通す時の「ザクッ」という感触は今でも忘れることはできない。
 日に日に成長していくヒヨコ達の成長を見るのは楽しかった。
 休みの日に世話をすることもイヤじやなかった.むしろ、会いに行きたかった。
 解体は明日だ。そんな実感は全く感じられない。
 鶏達は明日、解体きれることを知っているのか。今まで鶏たちは一生懸命生きてきた。明日、私たちが包丁で切り込みを入れるとその命は亡くなってしまう。 その命を無駄にはしたくない。解体するなら最後まで見届けてあげたい。
「いただきます」と「ごちそうさま」の意味は明日、分かると思う。解体される魚鶏達には「ごめんね」じやなくて「ありがとう」と言ってあげたい.


 「屠殺」をして 〜当日に私が思うこと〜
       ※「屠殺」・・・鶏の頚動脈を切って命を絶つこと

 12月5日。とうとうこの日がきた。私たちが今まで心を込めて大切に育ててきた鶏を解体する日。 鶏の翼と足を紐で縛らないといけない。鶏たちは縛られるのを必死になって抵抗した。まるで、今から「解体される」事が分かっているかのように・・。いよいよ屠殺の時。包丁を握る。小森さんが脳震盪を起こすために鶏の頭を叩くのを見て辛かった。そして、切り込みを入れるとき、包丁を持つ手は震え、頚動脈の場所が分からなかった。切る瞬間、頭の中は真っ白で、何も考えられなかった。切った時の光景や感触は、はっきりと覚えている。
 放血器の下から、鶏の首が出て、血が沢山出ていた。見たくなかった。できるならその場から逃げ出したかった。
 足と翼を紐で縛られた鶏たちは、大きく、羽をばたつかせることができなくなった。私は、解体きれる鶏達に最後に、ご飯をお腹いっぱい食べさせて、水を飲ませたかった。大きく羽を広げきせたかった。仲間の側に連れて行き、私と一緒に散歩したかった。私たちが育てた鶏達は、もう生きていない。私たちに体を張って「命の大切き・尊さ」を教えてくれたから。私たちが串鶏にゆってあげる言葉は「ごめんね」じやなくて、心からの「ありがとう」だと思う。そして、実習をして良かったと心から思うことが、鶏達に対する一番の償いだと思う。
 最近のテレビや新聞は嫌なニュースで、意味も無く人を殺したり、うるさいと言って幼い子の命を絶ったり・・・。その子違には楽しい人生が鼻あったはず。それを自分の勝手な理由で絶つなんて、私はこんな心を持った人達全てがこの授業を受ければ、こんな事は無くなるんじやないかと思う。
 この授業で学んだ大切なこと。これらを教えてくれたのは、一羽の鶏だということをみんなに知ってもらいたい。
 私達に尊い命を捧げてくれた鶏達へ・・・心を込めて、、、ありがとう。
 希望を!