子どもたちに<生きる力>と<希望>を! 

鶏の解体実習 文集 2000年12月8日

  は じ め に
                          校長 山鹿 肇雄

 食品流通科、1年2組「農業基礎」の授業の体験文集5号の発行ができますことを大変うれしく思います。
 食品流通科は、1年生の「農業基礎」の教材にトマト・白菜栽培・ブロイラー飼育に挑戦しました。
 教科「農業基礎」の目標は、農業生物の育成について、体験的な学習を通して、農業に関する基礎的な知識と技術を習得させ、農業及び農業学習についての興味・関心を高めるとともに、問題解決能力を伸ばし、農業の発展を図る意欲的な態度を育てるとしています。
 この科目は、生徒諸君が各学科の専門分野の学習に導入する基礎であり、自然との触れ合いや農業体験の少ない生徒諸君に農業の本質を理解させること、農業学習への意欲を高めることをねらいとしている学習です。
 作物栽培(本校では、トマト白菜栽培)、家畜飼育(ブロイラー飼育)の継続的な体験を通して、農業生物のもつ特性、各作物を共通する栽培の基礎あるいは家畜飼育の基礎を習得できたのではないかと思います。
 特にブロイラー飼育は、体験文集から「自分の卵をふ化、育雛、と殺、解体、いただきます」の教育で、一生のうち体験しないかもしれない、貴重な体験学習であったことが感じられます。
 体験は何にもまさる財産です。からだで覚えたことはけっして忘れないと思います。10代、20代で多くの経験をすることが大変重要であり、多くの経験は多くの場面で生かされます。
 今年度実施した野菜栽培、ブロイラー飼育は生きた授業です。「生命の尊さ」いかに大切にしなければならないか、まとめから伝わってきます。この体験学習は一生忘れることはないでしょう。
そして学習の成果を今後是非生かしてほしい、生徒諸君はいろんな学習に積極的にチャレンジし、たくさんの経験をするよう期待します。

  農業基礎を担当して
                             食品流通科 高尾忠男

 今年も食品流通科1年2組の科目「農業基礎」の中で、一学期はトマトの栽培、二学期は白菜の栽培、9月下旬よりブロイラー飼育(種卵入卵〜孵化〜飼育〜解体、試食)を実施しました。
 特に、今回の解体実習は、県教育センター主催の公開授業(県内小中高校教師40名参加)もかねて、マスコミ(テレビ、新聞各社)の取材もあるなか、昨年までとは少し違う緊張感のある 、歴史の一ページを飾る解体実習でした。
 本科が取り組んでいるブロイラー飼育の目的は、鶏の孵化、飼育、解体、食することの体験活動を通して、「命の尊さ、命の重さ」を理解させることにあります。現代の子供たちについて、他人を思いやる心、基本的な倫理観、自己抑制力、自立心等が十分に培われていない等の指摘があり、心の教育の在り方が課題となっています。
 現代社会は、人間が生活する表面の環境そのものはもの凄い勢いで発達をしていますが、人としての一番基本的な「心の文化」が忘れ去られ、昔では想像もつかない(心の病を持った)青少年の凶悪犯罪が続発しています。
 これら青少年の犯罪の凶悪化など倫理観の荒廃化の原因は、家庭教育か、それとも学校教育か、社会教育か論じました。そこで先ず教育現場の教師として「心を育てる教育」はできないものか、特に本校農業系三学科の教科「農業基礎」の中で、子供たちの個性を伸ばしながら、心豊かな社会を創造していくために、自ら学び自ら考える力等を育成するとともに、正義感、倫理観、美しいものに感動し、自然を大切にする心、「命の尊さ、命の重さ」など「時代を超えて変わらない価値観あるもの」を培う教育実践を試み、この実習となりました。
 この実習を開始するに当たり当然、生徒たちが愛情を持って育てたニワトリを自分達の手で「殺して食べる」、このことは「命の尊さ」と相矛盾はしないのか?生徒たちの「情操教育」に本当に役にたつのか?小動物から結果的には人間へとエスカレートし「残酷悲惨」な結果になり、意図しない教育に発展しないのか?と言う意見もありました。
 それで事前指導で「いただきます」は生き物の命を「いただく」という意味、「食べ物は全部命である、食べ残さないこと」、「受精と誕生の神秘さ」「人としての誕生」などに重点を置き実施にふみきりました。
今年もバスジャック、一家五人殺傷事件、タクシー強盗殺人事件等挙げれば切りがないほど、年々青少年犯罪が凶悪化し社会問題の緊急課題になっています。
昔は、自然の中で自由に遊び学び、そして、多人数の家族構成員や心の繋がりがある地域の人間関係の中から、人としての生き方ルールなど人としての常識「生活文化」を、日常生活の中で肌で学び取り、大人とし成長し結婚して子供に教え、親から子へそして孫へと受け継がれていました。
現在は、その人と人との心を繋ぐ貴重な自然環境(家庭、地域、社会)が奪われ、表面の綺麗さや日常スタイルがもてはやされ、その結果、自己中心的なアンバランス人間を一部誕生させることになったと考えます。彼らは日常生活の中でストレスがたまり「キレ」の現象を起こし、家庭や周りの人達を巻き込んだ悲惨な人生を送るかも知れません。
今年度の農業基礎でのブロイラー飼育実習は、昨年と同じ時間を事前指導にあて今年で5年目の実習となります。
 今回は、種卵から解体、試食まで自分のニワトリが区別できるように、種卵に名前を記して自分の担当ヒヨコを持たせ、更に、孵卵中の種卵を5日目、10日目に割卵して生命誕生の営みを生徒に見せました
 このことで、卵の中に育まれている「命」について直接体験し、命の消え行く様を考えさせたいと思ったからです。
10月9日に生徒達の歓喜の中に孵化が始まり、その日からクラス40名を8班の編成で、1班17〜18羽の飼育が始まり、日祭日、試験中(朝・昼・夕)にも班で自発的に当番を割り当てました。その間休むことなく約60日間、水や餌を与え大変良く面倒をみてきました。
いよいよ解体実習の当日となり、拒絶反応も無く、落ち着いた雰囲気で集合しましたが、今年は公開授業のために約60名(マスコミ含)の人々に注目され緊張の中での実習が始まりました。
実習の中でも一番やりたくないこと、それはニワトリの命を絶つ瞬間を迎かえること。ニワトリを捕まえ、ニワトリが助けて下さいと訴えるような目を手で覆って、涙を流し「ご免ね」と謝りながら、震える手で頸動脈に刀を当てて切る瞬間、そして真っ赤な血が赤い糸のように流れ落ち、間もなくして全身が硬直しニワトリの命が天に召される尊い瞬間です………………。
予定どおり解体実習を終わり試食の時間になり、今までとは違う本当の意味の「命をいただきます」を全員が合掌しました。今年も食べる時はどんな反応を示すのかと気にしながら試食しましたが、全員食べていましたので(一部消極的ではありますが)安心しました。
真の「心の教育」とは「心に響く教育」だと思います、生徒の感想文を読んでも分かるように、心が入るから涙がこぼれ、体験する前と後では全く違った心境になります。生徒は年々その感が強くなっているようです。
 この貴重な体験を、今後の人生の(家庭、社会、職場)の中で、先ず「自分の命」を大切にし、周りの人を思いやりながら感性豊かな社会人に成長し、近い将来必ずや体験する子育ての中で、貴重な教訓として生かされることを願っています。
 今年の感想文も素晴らしく、読んで胸を打たれるような、若者らしい心の葛藤を表現しており、目的の「心の教育」に少しでも役に立つたのではないかと思います。青春時代の高校生が涙を流しながら体験し、素晴らしい感想文を書いてくれたことを大変嬉しく思い、記録として残したく文集としました。

追記
* 生徒と同じ境遇に立ち、ヒヨコから育て解体実習をされた、「庄内小学校
   永水セキコ先生」の感想文と、新聞各社に掲載された記事も合わせて末尾
   に綴じています。



目 次
1.「命って素晴らしい」           麻生 香織 1頁
2.「大切ということ」             生野 幸子 2頁
3.「ひよこから鶏へ」            井手亜矢子 3頁
4. かけがえのない「命」          今村 優子  4頁
5.「いただきます」             上田 菜穂  5頁
6.「解体実習を前にして」         牛島 優   6頁
7.「命はホントに尊いもの」        浦野 あゆみ 7頁
8.「鶏と過ごした2カ月」          音成 杏美  8頁
9.「鶏に教えられたこと」          草場 千佳  9頁
10.「命の重さを感じて」          幸若 友記   10頁
11.「命のありがたさ」            合戸 薫    11頁
12.「生きることの大切さを考えさせられた一日」
                         古賀 千晶  13頁
13.「命」                    古賀真衣子 14頁
14.「命の重さ大切さ」            国分  葵  15頁
15.「私が得た命の大切さ」         坂井美沙子 16頁
16.「命の重さを知るために」        高田 麻美 17頁
17.「鶏の命をもらって・・・」         高松 李奈 18頁
18.「命の重み」                田川 和典 19頁
19.「命の大切さ」               田中 杏奈 20頁
20.「命の大切さ」               田中真理子 21頁
21.「ありがとう☆」              辻 美千枝 22頁
22.「命を学んで」               手島 達也 23頁
23.「生きていく強さ」             時  義明 24頁
24. 命の「かけら」               豊福 和子 25頁
25.「命の大切さを学んだ日」        中嶋 仁子 27頁
26.「大切な命」                中村 美樹 28頁
27.「命を絶つ日」               楢原 一美 29頁
28.「命を糧にして」              延  雅之  30頁
29.「鶏の気持ちになって」          野見山繕照 31頁
30.「鶏から学んだこと」            日野 亮平 32頁
31.「貴重な体験」               馬迫 和美 33頁
32.「鶏から知った大事なこと」        増崎多香枝 34頁
33.「命の大切さとは・・・」           増崎友里絵 35頁
34.「大切な命をありがとう」          松下 優衣 36頁
35.「目を背けずに」              松竹美千代 37頁
36.「鶏から学んだ命の重さ」         丸山 珠瑞3 9頁
37.「命を考えた2カ月」             森永 和恵 40頁
38.「貴重な体験」                諸藤みどり 41頁
39.「解体の意味」                山崎 倫明 42頁
40.「鶏から学んだこと」             横溝 美香 43頁

41.『命の教育』
 ―久留米筑水高校 食品流通科 1年生の皆さんと共に―
 嘉穂郡庄内町立庄内小学校 教諭 永松セキコ      45頁
42. 新聞記事                      50頁


  『命って素晴らしい』
     1年2組1番 麻生 香織

 今まで一生懸命愛情いっぱい育ててきた鶏を自分達の手で殺すことはしたくない気持ちでいっぱいです。なぜなら、卵からヒヨコが生まれた時は、とても嬉しかったからです。毎日餌をあげたり、水をかえたりしてみんなで協力しあい、世話をしてきました。ヒヨコはすくすく成長していきました。ヒヨコは日がたつにつれて、大きくなり餌の量も倍になりました。ヒヨコの声やとさかなどを日記につけました。ヒヨコの声はピヨピヨとかわいい声だったのに、だんだん低くなりました。それにつれて羽もどんどん大きく成長していき、色も黄色から茶色になりニワトリらしくなってきました。今までの二ヶ月間ニワトリと過ごしてきた日々はいい思い出になりました。だけど、明日そのニワトリを殺さなければならないけど、一生懸命命の大切さを勉強していきたいと思います。精一杯頑張ろうと思う。

  『小さな命を忘れない……』

 今日、12月8日今まで育ててきたブロイラーの解体の日です。私は、自分の手でニワトリを殺す日が本当に来て欲しくなかった。だけど、解体をする瞬間が近づくばかりでした。もう前半の人達が殺しているのを見て、涙が出てきました。それを見て手足が震えてきました。そして、ついに私達の順番がきました。私はすごく怖かった。 なぜかというと私がニワトリの頭部をたたき、首を切らなければいけなかったからです。だけど、頭を力いっぱいたたこうと思っていても、力が入らず、何度たたいても脳しんとうを起こしませんでした。だから、おもいっきり切りました。 その時私は、脳しんとうを起こさずに首を切るほうがすごくかわいそうだったと思うと、涙があふれてきて止まりませんでした。今まで育ててきたニワトリの命を頂いて『命の尊さ』を実感しました。この解体実習は一生忘れません。大切な命を頂き、とても悲しいけれどいい体験をしたと思います。
 今、同年代の人達が殺人を犯しているが、その人はどんなにひどいことをしてもなんとも思わないのかと私は思います。そんな大事な命を奪って本当に辛い気持ちにならないのかとつくづく思います。私は生き物の命をもらった時は本当に悲しい気持ちになり、もう二度とこんな思いはしたくないと思いました。
 最後にこれからもこの解体の経験を生かして命を大事にしていこうと思いました。解体するのが辛かった。


  「昔の自分と、今の気持ち」〜鶏の飼育と嫌な気持ち〜
     1年2組2番 生野 幸子

 卵からふ化したばかりの雛は、とても小さくて、人形のようだった。育てていくうちに私と同じように生きていると言うことが実感できた。
 世話をするのは大変で育すう器に雛を移して数日後、そこは雛の排せつ物で激臭の部屋になっていた。私は、餌やりをするのが苦痛でたまらなかった。その時は、雛の鳴き声を聞くのも嫌で、「もう、したくない」という気持ちだった。
 ある程度成長した雛を育すう器から出して平飼いに移した。その時から雛は、目ざましく成長をとげ、餌の量も着実に多くなっていった。 
解体実習の前に、私は二羽の雛の死体を目にした。一羽目は、最後に生まれた雛で他の雛につつかれていて、すごく弱っていたのを育すう器の中で隔離して育てていたが、死んでしまった。二羽目は、平飼いに移した後、何日かして寒さのために、他の雛に押しつぶされて「圧死」していた。
 解体実習を目前にしても全く殺すという実感がなかった。そんな体験をしたことが全く無かったからだろう。

  〜大切と言うこと〜

 そして解体実習当日。余りのショックに泣いてしまった。いざ、本番になると手が震えて、切れなかった。包丁の裏で肉冠の辺りを叩き、脳震盪をおこさせてから切るのだが、叩く手に力が入らず何度も叩いた。鶏は相当痛かっただろう。首を切るときは辛かった。覚悟して切ろうとしたが、手が動かない。涙は出てくる。もう一回覚悟して切った。「皮一枚!もう一度。」と言う先生の言葉に二度目は、力を入れて切った。
「まだ、もう一回」と言われたが、私はやらなかった。限界だったのだろう。その場を離れ、石鹸で何度も手を洗った。涙が止まらず友人に迷惑を掛けた。落ち着きを取り戻したら、鶏を湯につけて、羽毛を抜いた。たくさんの小さな毛が、手について気持ち悪かった。羽毛をはぎ取られた鶏は、「鳥肉」になっていた。傷口が、生々しく開いていた。それから、少しずつ解体をして、作業は終了した。
 今回の授業を通して、やって良かったかどうかはまだはっきりしない。一つだけはっきりした事といえば、「もう、二度とやりたくない」と言う気持ちだ。 解体するずっと前に、「鶏の目を見てやるのだ」と、友人に話したことを思い出した。今考えてみると、どうして格好つけてそんなことを言ったのだろうと、自分の嘘に気付く。自分が情けない。「いただきます」の大切さを知る事ができた。今まではなんとなくだったけれど、本当の意味で命の大切さを知った様な気がする。
 今、青少年による悲惨な事件が起きているけれど、こんな体験をしたら「人を殺してみたかった」とか「親に恥をかかせたかった」とかいう理由で事件を起こしたりしなかっただろう。私は貴重な体験ができた。他の人はどうだろう。誰だって、自分の大切にしていた物が無くなるのは悲しいはず。だったら、まず「自分が人を悲しませるような事をしない」という気持ちをもって、それが何であれ、自分の物の様に大切にしていきたい。

  「ひよこから鶏へ」
     1年2組 3番 井手 亜矢子

 十月の中旬、卵のふ化から約2ヶ月。毎日大きくなっていたひよこは、もうひよことは呼べなくなってしまいました。よくエサを食べ、よく水を飲んで、どんどん鶏らしくなっていくのを見て、はじめは、大きくなればかわいくなくなって、解体も楽にやれるだろう、と思っていたのに、最近は、大きくなればなるほどかわいく思えてきました。今は一生懸命育てた事を後悔しています。あまり実感はわかないけど、明日解体したとき、泣いてしまうのが目に見えて分かる気がします。たとえ解体する鶏が私の育てていない鶏でも、泣いてしまいそうです。
 先生達は、「勉強になる」「いい体験をする」と言っていますが、私には信じられません。きっと解体しても、罪悪感が残って、鳥肉が食べられなくなると思います。みんなも、そう思っていると思います。頭では分かっていたけど、関わりたくありませんでした。矛盾していることも分かっていました。平気で肉や魚を食べているのに、自分がやるとなると、怖い、かわいそうと言って嫌がるという事。それは、私達のために命を亡くしてしまった生き物達に対して、とても失礼だということが、最近分かってきた気がします。
 今は、精一杯解体をがんばろうと思います。でも、その後に何が残るのか、解体をしてよかったと思えるか、とても不安です。できれば、解体してよかったと思えるように、努力しようと思います。
「いい体験だった。」
 解体実習を終えたその日、私は混乱していました。今日解体して泣いたことが、夢や幻のような気がしていました。持ち帰った鳥肉を見ても、お店とかに置いてある鳥肉と同じで、私がさばいた肉というのが信じられませんでした。でも次の日、新聞に記事が載っていることに気付いて内容を読むと、やっぱり夢じゃないのだ、と思えてきました。と同時に、鶏への罪悪感を感じました。
 先生や父や母などが「昔は家で鶏をさばいて食べていた」と言っていました。だから、父達には私の涙の理由は分かりません。でも、今思うと、私もなぜ解体の時泣いたのか分からなくなりました。かわいそうだから、ショックだったから、動物が好きだから。思い当たる理由はいくつかあるけど、どれも違う気がします。一番近いのは「かわいそうだから」です。さっきまで生きていたのに、一瞬で死へ向かってしまう。その死へ向かう手助けを、私はしてしまったという後悔が、泣いた理由ではないかと思います。包丁を持って、左手で鶏の頭を固定した時、イヤだ、やりたくない、怖い、と思いました。そのせいで包丁が震えてしまって、頭に当たりませんでした。何度か自分の手を叩いてしまって、時間がかかって、泣いてしまいました。結局、と殺をするはずだったパートナーに迷惑をかけてしまって、先生にと殺をしてもらいました。その後は、ただただ泣いていました。泣いているときに、たくさん優しい言葉をかけてもらって、抱き締めてもらいました。でも、死への手助けをしてしまったという後悔は、ずっと消えませんでした。我慢しなければ、一日中泣いていたかもしれません。
 いろいろな意味で、いい体験をしました。結果的には、こんな事やりたくなかったと思っていますが、それでもかまいません。そう思った事が、いい体験だからです。この体験は、たくさんの人に伝えていきたいと思います。

  『命』の尊さ
     1年2組4番 今村優子

 鶏の解体をすることについて、私は前日まで「できる」と思っていたけど、いざ解体をする日が近づいてくると、だんだん「出来なかったらどうしよう」とか「恐い」などといった気持ちがこみ上げてきます。でも、とてもよい勉強になることだと私は思います。それはなぜかと言うと、私たちが生きていくということは、何かを犠牲にして生きていかなければいけないということだと思うからです。それは、鶏だけでなく、今まで育ててきた、トマトや白菜でも同じ事が言えます。本当に感謝したいです。一生忘れないように解体の日は、しっかり勉強したいです。
 
  かけがえのない『命』

 鶏の解体をする前日までは、解体なんてしなくてもいいのにと少し思っていました。だけど、いざやってみると、大変だったけど、命の尊さや大切さがとても伝わってきてやってよかった、と思うことができました。
 今まで、鳥肉や牛肉、豚肉など、なにも考えずに食べたり、調理したりしていたけど、これからは命の重さや大切さを感じながらたべたいと思います。
 この体験は筑水高校の食品流通科でしか体験できないことです。この流通科に入っていなければ、『命』についてこんなに深く考えていなかったと思います。
 流通科に入ってこんな大切な勉強ができてよかったです。
 今、高校生や10代の人達の犯罪を、ニュースや新聞などでよく見かけるようになりました。その犯罪の内容は、とても残酷なものです。同じ年齢の人達がこんな事をするなんてと、とても悲しく思いました。きっと、『命』について勉強してなくて、命の重さや大切さが全然分かっていないのだろうと思います。
 他人事だと思っている人達も多いかもしれないけど、もしかしたら自分の身の周りで起こることかもしれません。そうなった時では、もう遅いので、普段から『命』ということについて考え、話し合いなどをしたほうがいいと思います。
 わたしも家族と、この解体について話し合いをしたいと思います。この体験をいろいろな場面でいかしていきたいです。


  「にわとりさん」
     1年2組5番上田菜穂

 明日はいよいよニワトリを解体する日だ。最初はとても小さくてかわいかったニワトリも今は、体も大きくて、泣き声もごっつくなり、羽も生えてきて、ぜんぜんかわいくない。それに、エサや水をかえるのも大変だし、わざわざ休みの日に出てきて、エサをあげないといけないなどと、世話するのがとても大変だった。でも世話をするのも今日で最後だ。そう思うと悲しくなった。それに明日、ニワトリを殺してしまう。私は、今まで世話をしてきたことを思いだしながら、明日、「命の大切さ」を学びたいと思う。

             「いただきます」

 自分たちでさばいたニワトリを水炊きにして食べるとき、私は水炊きを食べられなかった。今までは、鳥肉や、牛肉、豚肉など、何も思わなく普通に食べ、食べる前に、「いただきます」とは言っていたけれど、ありがたさの気持ちがこもっていない「いただきます」だった。けれど、今日の水炊きを食べるときの「いただきます」は、今までとは違った「いただきます」だったような気がする。「いただきます」という言葉は、ありがたさという気持ちを込め、ニワトリや牛、豚、そしてそれを毎日解体を仕事としている人に感謝しながら食べなければいけないと思う。私は、それを今日、ニワトリを解体して、分かったような気がした。私は解体実習をして、本当によかったなぁと思った。これからの生活に、今日学んだことをいかしていけたらいいなぁと思った。



  「解体実習を前にして」
      1年2組6番 牛島 優

 僕は最初に、鶏を卵からかえして、それを育ててから、大きくなったら殺して食べると聞いた時、なんでそんな事をしなくてはいけないのだろう。そんなこと絶対したくないと思っていました。
 でも、ブロイラーの実習は始まりました。初めに卵をもらって名前を一人ずつ書きました。その卵はとても冷たくて本当にこの中で育っているのかなぁと思っていました。でも、数日後割卵した時、まだよく分からなかったけれど、中で生きていたっていうのは分かりました。そして、その次の割卵では、もう形がほとんどできていて、鶏だというのがはっきり分かりました。その時は、ちゃんと育っているのだなぁと少し感動しました。
 そしてついに卵から雛がかえりました。最初の日に雛が生まれた人は雛をもらいました。僕のひよこはその日には生まれなかったので、次の日にもらいました。雛をもらった時には、すごくかわいくて絶対に殺したくないと思いました。
 そして雛を育すう器に入れました。それからは毎日鶏に餌をやりにこなくちゃならないし、臭いし、水もかえないといけなくて、とても嫌だとなぁと思いました。しかも、どんどん大きくなっていってかわいくなくなっていって、だんだん嫌だと思ってきました。でも、やっぱり殺すのは嫌だと思っていました。なぜなら、命の大切さを知る学習なのに鶏を殺すのはまちがっていると思ったからです。でも、前日の今日となっては、鶏を殺すことによって命の大切さを学べるような気がしてきました。とにかく、解体実習をするのはあまり気が進まないけれど、鶏の命が無駄にならないようにしっかり学習しようと思います。

 「解体実習の感想」  僕は解体実習の日が来るのをずっと前から嫌だなぁと思っていました。それはせっかくこんなに大きくなるまで育てたのに殺すのは絶対におかしいし、かわいそうだと思っていたからです。
 そして、当日になりました。当日はたくさんの人が来ていて、テレビや新聞の人達まで来ました。そしてクラスの人達がついに鶏を殺し始めました。なかには号泣している女子もいて、自分の番がくるのが本当に嫌だと思っていました。そしてついに自分達の番がきました。僕はのうしんとうを起こさせる係だったので、鶏の頭を叩きました。でも、けっこう難しくて、なかなか力が入りませんでした。そして首を切る係の人が頚動脈を切って殺しました。鶏はあばれて血がたくさん出ました。僕はかなりかわいそうな事をしているなぁと思いました。そして、そのあと毛をとりました。なかなかとるのは難しくて、思ったよりけっこう大変でした。そして、毛をとり終わったかと思うと、今度は足を取ったり翼を取ったり、内臓は気持ち悪いしとても臭いはで一難去ってまた一難でした。僕はもう生き物を殺すのは絶対に嫌だと思いました。
 そして、最後はみんなで食べました。僕はあんまり食べることができませんでした。僕は鶏を殺した事は嫌だったけれど、この解体実習を大事な経験だと思って今後に活かしていこうと思います。

  「実感のわかない明日」
     1年2組7番 浦野 あゆみ

 私は、ブロイラー解体実習を明日に迎え、すごくイヤで逃げたい気持ちで一杯です。自分達の手で、ブロイラーを殺すなど全然実感がわきません。
 卵からヒヨコが生まれた時は、本当に嬉しかったです。私は、毎日交替で餌をやったり水を替えたりして愛情いっぱいで育てました。ヒヨコは、大きくなるにつれて餌の量が増え、すくすく育っていきました。その時「命って、素晴らしい」と思いました。
育すう器から平飼いに移してからは、大変でした。自分達のブロイラーが他の班の所に行っていたり、給水器から水をこぼしてチップを濡らしてしまったりと大変でした。
 大変な事もたくさんあったけど、明日でもうお別れです。明日解体実習を行うのが信じられません。私は、たぶん明日泣いてしまうと思います。
 私は、脳しんとうさせて動脈を切らないといけません。ためらい傷で苦しめない様にしたいです。明日は、しっかり頑張ろうと思います。


  「命はホントに尊いもの」

 今日、自分達の育てたブロイラーを解体しました。
 まず、羽と脚を紐で縛りました。その時はまだ解体するという実感はありませんでした。しかし、前半の人達がと殺しているのを見ると、涙が出てきました。
 私達の番が来たときは、手足が震えて、ブロイラーを一回で脳しんとうできなくてブロイラーを苦しめていまいました。ブロイラーの動脈を切る時も一回で出来ず、二回もしていまいました。と殺したあと涙が止まりませんでした。そのとき、私は、『本当に命は尊いものだ』と実感しました。
 今まで一生懸命生きてきたブロイラーの命は一瞬にして無くなりました。すごく辛かったです。こんな仕事をしている人達はもっと辛いと思いました。
 今、同年代の人達の犯罪が多くなり、命が軽視される中、命の大切さを学ぶために生きている物の命を頂く実習ができた事は本当に良かったと思います。始めは、とってもイヤだったけど、一生心に残る実習ができました。
 この解体実習を通して、命はホントに尊いものだと思いました。そして、もっと命を大事にしていこうと思います。
   『にわとりさん、命をありがとう。ごめんなさい…。』


  「鶏と過ごした2ヶ月間」
     1年2組8番 音成 杏美

 今まで一生懸命卵から育ててきました。その鶏を殺さなくてはいけないというのは、とても複雑な気持ちでいっぱいです。
 ヒナが卵からかえった時、とても可愛くて名前を付けました。まだ、私の手に乗るくらいの大きさで羽毛もきれいな黄色でした。餌の量も日を増すごとに倍になり、羽毛の色も少しずつ茶色っぽくなっていました。そんなヒナの成長がとても楽しみでした。やがてヒナは、育すう器に入らないくらいの大きさまで育ち、横にある大きい部屋に移しました。その頃から、世話がいやになりました。私は、ヒナは好きだけど、鶏は嫌いです。だから、「ずっとヒナのままでいいのに・・・・」という気持ちがありました。小屋は臭いし、鶏は気持ち悪いし、世話は大変だし、本当に世話をするのがいやでした。でも、しょうがなく世話をしていたのが正直な気持ちです。でも、ヒナはどんどん成長し、立派な鶏になりました。
 明日は、いよいよ解体実習の日です。そこまで明日の事は深く考えていません。だけど、この2ヶ月間早かったなぁと思います。どうしてこんな事をしなくてはいけないのかよく分かりません。その事をよく考えて明日の実習に取り組みたいと思います。

  「鶏よ、さようなら」

 今日、自分の手で鶏の頚動脈に刃を入れ解体しました。昨日は鶏を殺す事について、あんまり深く考えていませんでした。でも、今日の実習でいろんな事を学んだと思います。
私は、鶏が全然だめでとても嫌いでした。可愛そうだから殺したくないという気持ちもあったし、世話が大変だし、気持ち悪くて嫌いだから早く殺したいという気持ちもありました。その時は、今まで何のために鶏を育ててきたのか意味を知らなかったからだと思います。でも、今日頚動脈に刃を入れなくてはいけなかった時、本当に殺したくないという気持ちになりました。鶏がこわいという事もあったし、やっぱり今まで自分達が愛情を持って育てた鶏だから、なかなか鶏に刃を入れることが出来ませんでした。頑張って勇気を出して刃を入れると、血がポタポタと垂れてきて、本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいになりました。
 私達は普段何気なく食事をしているけど、私達の代わりに日頃こんな気持ちで毎日職業としている人がいるのだなと思いました。この実習を通して、命の大切さ、食べ物の大切さについて考えることができたと思います。私達が生きていくために、犠牲になっている命が沢山あるんだとこの実習で分かりました。この命が無駄にならないためにも、これから食べ物のありがたさを考えていこうと思います。他の学校では経験できない、貴重な経験ができたと思います。 

  《実習前に思うこと…》
                   1年2組9番 草場千佳
 明日はいよいよ解体実習です。
卵のころから育て始めて、休みの日にもずっと餌やりにでてきて愛情が湧いてきたところだから、とても寂しいです。
 ニワトリの首を切るとき、きっとニワトリは痛くて苦しいと思います。生き物の命をむやみに絶つということは、絶対にしてはいけないことです。
 筑水高校の食品流通科は毎年、この実習をしてきたそうだけど、前日になった今でも、私はニワトリを殺すことは反対です。けれど、毎日の食生活を考えると、鶏肉・牛肉・豚肉などたくさんの食を生き物から貰っています。普段は何も考えず、食べ物のありがたささえ一度も考えたことはありませんでした。 だから、この学校に入学し、今回の解体実習を行うことをきっかけに、食べ物の大切さ・「いただきます」の意味・そして、それ以上に、命の大切さを考え直そうと思います。
 今はまだ、ニワトリを殺すという実感はあまりわいてこないけど、明日は必ず悲しさや怖さが込み上げてくると思います。けど、ニワトリの命を無駄にしないように、しっかり命について考えようと思います。

  《ニワトリに教えられたこと》

 12月8日、私はニワトリを殺しました。
 実習前までは、いろんな面で反対していたけど、実習が終わった今では、やって良かったと思います。ニワトリにとっては死をむかえることだけど、私たち人間にとっては、生きるための糧を貰うことができました。
 私は、今回の実習を通して、命についてとても考えさせられました。命は人の手で簡単に奪うことができるけど、簡単に奪ってはいけません。
 今、中高生の凶悪犯罪が沢山起きているけど、その人たちは命について考えたことがないと思います。私たちが生きるために、しかたなく鶏や牛などの命を奪っているから、もうそれ以上むやみに命を奪ってはいけないと思います。
 私はこれからも、一つひとつの命をもっと大事にしていこうと思います。そして、人間が生きるために犠牲になった生き物たちのために「いただきます・ごちそうさま」を心を込めて言おうと思います。
今回の解体実習はとても貴重な体験になりました。



  「ニワトリとの思い出」
     1年2組10番 幸若友紀

 明日はいよいよニワトリの解体日です。初めはあんなに小さくてかわいかったヒヨコたちも、今ではもうりっぱなニワトリです。ニワトリは、言葉は喋らないけど、死ぬのはイヤなので必死に逃げたり鳴いたりします。そういう姿を見ていると本当にかわいそうだと思いました。エサがあまり食べられず、他のヒヨコにつぶされて死んでしまったのもいました。でもそれを乗り越えて必死に生きてきたニワトリを殺すことは、とても勇気が必要です。世話は本当に大変だったけど、絶対心に残ると思います。これまで普通に食べてきたニワトリを明日は自分達の手で殺し、解体しなければいけません。今までの事を一つ一つ思い出しながらやろうと思います。そしてこの体験を通して命の大切さを学ぶ事ができるといいです。

  「命の重さを感じて」

 ニワトリの解体実習を終えて、私が一番初めに思ったことはやってよかったということです。あんなに一生懸命育てたニワトリを殺すということは、とても勇気がいることだしイヤでした。でも絶対いい体験ができたと思います。順番を待っていると、誰かの泣き声が聞こえてきました。ただでさえ緊張しているのにそれを聞いてさらに緊張が増してきました。いよいよ私達の番になり、ニワトリの頭を脳しんとうさせ、首を切りました。その後熱湯にニワトリをつけて羽をぬきました。一つ一つ丁寧にぬいていくと普段私達が見ている姿になりました。でもやっぱり今日は、普段通りの気持ちにはなれませんでした。
 そしていよいよ解体です。まず足からさばいていきました。自分で育てたニワトリを自分でさばいて初めて命の尊さを実感しました。そして昼食にはさばいたニワトリと私達が育てたハクサイで水炊きを食べました。家で食べるのとは比べ物にならないくらい味が出ていてビックリしました。家ではあまり言わなかった「いただきます」と「ごちそうさま」を今度からは絶対忘れずに言おうと思いました。私は、「ニワトリは今日の体験で殺されるためだけに生まれたのじゃない」「しっかり人間と同じように生きて私達に感動と命の大切さを教えてくれた」と思いました。このことは絶対今後私の人生につながっていくと思います。いただきますとごちそうさまの意味をしっかり頭に入れて生命に感謝していきたいです。


  「最後の日」
     1年2組 11番 合戸 薫

 鶏を解体することについては、今まで一生懸命に育ててきたのに、その鶏を殺すなんてしたくないという気持ちでいっぱいです。生き物を育てるのなら、途中で殺したりせずに最後の時まで精いっぱい生きさせてあげたいと私は思います。
 今、残酷な方法で動物を殺す人がいます。その動物をちゃんとした理由で、例えば、「その動物を殺さないと食べ物が無い」とかならしかたないと思うけど、「ただイライラしているから」、「その動物が嫌い」等という理由で殺すのはおかしいと思います。そんな勝手な理由で殺された動物達、大切な命を奪われ生きる事ができなくなった動物達はとても可哀相、もうこんな事はしないで欲しいです。
 今回の実習で殺さなくてはならない鶏は、私たちが一生懸命育てました。本当にしたくないです、殺さずに生きさせてあげたい。
 明日の実習は、とても嫌です。でも、その貴重な体験を通して、改めて命の大切さを学び、それを今後の生活に活かしていければいいなと思います。そして、「いただきます」の意味を自分なりに理解できるように明日の実習を頑張りたいです。

  「命のありがたさ。」

 解体実習の当日、朝目が覚めると今日は実習をしなくてはいけないのかと不安になりました。学校に来る途中のバスの中で、すごく不安になってきて「もう、やりたくない」とか「私は本当に殺せるのだろうか」と思いました。
 今回、やった実習は本当に恐かったです。殺すという行動に対してかなりの拒否感を持っていました。他の人が殺すのを見ているのは、ただ可哀相だと感じるだけだと思います。だけど自分がしないといけないとなると、したくないという気持ちが強かったです。
 私は鶏の首を切るという役でした。はっきり言って殺す一週間前ぐらいは「大丈夫だよ、そのぐらいできる。」と思っていました。でも、本番になると、殺さなくてはいけないという実感がわいてきて急に怖くなりました。そして、初めて鶏のヒナを見た時のことを思いだしました。「あの時は、あんなに小さかったのに、もうこんなに大きくなっているのだな」、と改めて思いました。
 そして、とうとう殺さなくてはならない時がきました。まず、先生がと殺の手本をやってくれました。まるで映画の斬られるシーンのように血が先生の服に飛び散ったのです。私は、とても驚きました。その情景があまりにもショックで私は次の番だというのに足が前に進みませんでした。私は、殺すなら動脈を一回で切ってやろうと思っていました。でも、できませんでした。一回目では深く切ることができず、2回も切ることになったのです。首を切ると、真っ赤な血が出てきて鶏は、足をバタバタさせながら死んでしまいました。その後私は、とても不思議な気持ちになり、手が震えてきて涙が出てきました。この気持ちはなんだろう、言葉では言い表せない気持ち、でもこの気持ちが大切なのかもしれないと思いました。
 今、若い人達がいろんな事件を起こしています。この人達は生き物を殴ったり殺したりしてもこういう気持ちにはならないのかもしれない、もし、この気持ちが無いとしたら、悲しい事だし可哀相な事だと思います。なぜ、そんな人が増えたのだろう、命を奪ってそれをなんとも思わない人、こんな人が増えていったらこの先、日本はどんな事になっていくのだろうと、すごく不安です。でも、これからは私たちがこんな人が増えないよう努力をしなくてはいけないのかもしれません。
 私達は、食べられるために犠牲になった命、他にもいろんな事で犠牲になった命を貰って生きています。でも、それを当然の事のように思い込んで食べ物を平気で捨てたり、嫌いなものは残したり、生き物を殺したり、と命のありがたみを全く分かっていないことに気付きました。でも、この実習を終えて、本当の意味での命の大切さを分かれた気がします。今後、この事を思いだし食事の前の「いただきます」という言葉を言う時に、心を込めて言っていきたいと思います。

  「生きることの大切さを考えさせられた一日」
     1年2組12番  古賀 千明

 私たちは2ケ月位前から鶏を飼い始めました。クラスみんなで協力し合い、無事に卵をヒヨコにかえすことができたけど、私は、自分のヒヨコがどれか分からなかったので、一番目立っていたヒヨコをもらいました。そのヒヨコは生まれたときから背中に茶色い模様が入っていたのでほかのヒヨコより可愛いいなぁと思いました。
 けれど、そう思っていたのも束の間で、以外にヒヨコの成長は早く、築いた頃にはヒヨコを育てる育すう器に入りきれなくなっていたので隣の部屋で放し飼いみたいにして飼うようになりました。その頃にはもう「ヒヨコ」ではなくて、「ニワトリ」と呼べるくらい大きくなっていました。もうニワトリの姿になってからは、カワイイとかは思わなくなったけれど、やはり一から育てたニワトリだから、さすがに解体するのはいやでした。
 でも、まだ解体の2週間前位は「首ば切るくらいできそうやん」とか「解体した後は水炊きじゃなくて、からあげの方がいい」とか言っていました。今思えばそのときの私は世間で騒がれている、同世代の凶悪犯罪を犯す子供とかと一緒だったような気がします。その時の私は、生き物の命を奪うことを軽く考えていたからです。 けれど、解体実習が近づくにつれて、今まで持っていた余裕が不安に変わっていきました。私は、ニワトリの首を切るほうの役を自分から選んでしまったので、そのことを後悔しました。
 そして、とうとう解体日の前日です。楽しみだな、という気持ちは全然ありません。したくないという気持ちで一杯です。けど、この解体を通して、少しでも自分の中の生き物や食べ物に対する考えかたが変わっていればいいなぁと思います。  そう考えたら解体実習をすることの意味が少しは分かった気がしました。

 「忘れることのできない一日」

 今日は、いよいよ解体日です。この日が近づくにつれて、私の心は色々な思いでいっぱいになりました。まず、部屋に入って一通りの挨拶などを済ませそのあとみんなで鶏舎に行き、2人1組で1羽の鶏の羽と足をしばりました。そして、その鶏を解体する部屋へ連れていきました。先ず、先生が鶏の首を切るお手本を見せ、次に私達、という順番でした。高尾先生は思ったよりあっさり、首をきってしまいました。それは殺すことをなんとも思ってないという意味ではなくて、時間をかけるほうが鶏にたいしても自分に対しても、辛い時間が多くなるということを知っていたからだと思いました。けれど、いざ自分達の番になってみると思いきって切ることができず、2回も同じ所を切らなくてはいけませんでした。私は、大泣きしてしまいました。鶏の命を奪うということがこれほどまでに、辛く悲しいとは思っていなかったからです。そのとき初めて命の大切さを、身を持って感じました。
もう奪ってしまった命を取り戻すことはできないので、鶏のためにも「この解体を自分の手で終わらせよう」と思いました。そう思ってからは、意外にも楽に解体する事ができました。すべての肉を少しずつ自分で食べました。なんというか忘れられない味になりました。
 この実習を通して私の心の中で、大きく変わったものがありました。言葉では言い表せ無いけれどそれは、これからの人生の中で、見つけていけると思います。
 本当に今日は、自分の人生の中で忘れることのできない一日になりました。 

  「嫌な明日」
     1年2組13番 古賀真依子

 明日はいよいよ、鶏の解体の日だ。でも正直に言うと、私はあまり明日が解体だという実感はない。ただ、実感はわかないけど、解体はしたくない。解体までして命の尊さを学ぼうと思わない。卵から育ててきて、卵からひよこが孵化した時は、本当に感動した。それから二ヶ月間、当番を決めて、餌やりもしてきた。初めは臭くて、休みの日も餌やりに来なくちゃいけないのかと思ったこともある。でもやっぱり、解体の日が近づいて来ると、自分の鶏を自分の手で殺さなくちゃいけないのだと思うようになり、すごく悲しくなってきた。本当に鶏は、なんのために生まれてきたかわからない。私達は本当に残酷なことをする。明日の解体で自分は、鶏の首を切ることになっている。すごく恐いし、不安だ。でも、最後くらいは、安らかにしてあげたいと思う。

  「命」

 今日、鶏の解体をした。今日で本当に終わってしまったと思うとなんだか悲しい感じがする。
 いつも通りに学校に来て、いつも通りにホームルームをした。
 そして、いよいよ、解体が始まった。周りには、他の学校から来た先生が、たくさんいた。そして、昨日から絶食していた鶏の所にいった。まだ、実感はわかない。鶏の脚を紐で縛って、最後の体重測定をした。鶏は一匹を二人一組で解体する。
 私は、鶏の首を切る役目だった。私達の前にはすでに、首を切り終えている人もいた。みんな泣いていた。鶏の血を抜く容器には、たくさんの血が溜っていた。だんだん、恐くなってきた。
 いよいよ、自分達の出番がきた。友達が、鶏の頭を叩いて、自分にまわってきた。自分は気づいたら、すごく、泣いていて、手に力が入らなくなって、何回も鶏の首を切ることになってしまった。本当に可愛そうなことをした。二度とやりたくないと思った。
 そして、自分達で解体した鶏の肉を食べた。なんだか、いつも食べている肉と違う感じがした。有難みを感じたような気がする。
 今、すごく、私達と同じ年の人が犯罪をしている。その理由が、人を殺してみたいからという。その人達に私達がしたことを体験させてあげたい。どれだけ命が大切かということを学んでほしい。自分もこの解体で、すごく命の大切さを学んだ。解体実習をやってよかったと思う。

  「明日への想い」
      1年2組 14番 国分 葵

 私は、明日ニワトリの解体実習をする事に対してやりたくないと言うのが今の本当の気持ちです。生きている動物を殺すと言うことに対して今まで真剣に考えた事がなかったので、今考えるとやっぱりいやな気持ちです。どんな動物でも一生懸命に生きているのに、その命をもらうのだから、大切にしないといけないなと思います。
 一番はじめの頃は、解体実習の事なんて考えてなかったし、今みたいにこんなに大きくなるなんて思っても見なかったので、すごくびっくりしています。 孵化した時は、まだ暖かくてふかふかしていて、すごく感動しました。前はすごくかわいかったのに今ではずいぶん成長していて羽も茶色くはえかわってとても大きくなっています。今からまだ生きられたのに私たちの授業のために殺してしまうなんてとてもいやです。
 自分の育てたニワトリだから、自分で殺すのはすごくきついと思うけれども、でも命の大切さを知るためにはやっぱりやってみないと分からないのでがんばってやろうと思います。

  「命の重さ大切さ」

 私は、解体実習を終えて今すごく「命の大切さ、命の重さ」を感じました。私たちの育てたニワトリは、私たちの授業のために生まれ、育って、私たちが生きるために殺されました。自分達で育てたからこそ殺すのはとても嫌でした。いままで、2ヶ月間毎日水やり、えさやりをして育ててきたニワトリが目の前で死んでいくのを見るのはとても悲しかったです。
 解体したあと水炊きにして食べるとき、「いただきます」が心の底から言えました。いままでは気軽に言っていた「いただきます」はこんな体験をしないと分からないものなのだと思いました。これからは、どんな命も大切にしないといけないと思いました。
 今、私たちと同年代の犯罪が頻繁に起こっているけど、なんで人を殺したりする事が出来るのかが分からないです。犯罪を起こした人達も私達と同じく卵から育てたニワトリを解体して見たらどんなに命が大切かが分かると思います。
 この解体実習で「命の重さ大切さ」を知って学べた事もあったし、またこれからはいろんな事で生かしていけたらいいなと思います。


  「鶏に対しての思い」
     1年2組15番 坂井美紗子

 今日、いよいよ鶏の解体実習の日になった。卵の時から育ててきた鶏を自分の手で殺さなければならない。今まで卵を転卵してふ化させて、餌をやったり、水を替えたり、排せつ物の処理をしたり毎日毎日せわをした。いやいや、日曜日や祝日に学校に来て、世話をした。今思うと、自分はきちんと鶏の世話をできたのか、と思う。
 私は、今鶏を殺すと言う実感が湧かない。これからも、育てていくような気がする。今の気持ちは、自分のために、1羽の鶏の命を奪うと言うことが、とてももうしわけないと言う気持ちだ。自分達でここまで育ててきたから、こう言う気持ちが湧くのだと思う。今、とっても不安で泣きそうだ。本当に、こんなことはしたくない。今、鶏の顔を見たら泣くかもしれない。この日が、とうとう来てしまった。本当に、こんなことをやって、自分達のためになるのかと思う。
   
  「私が得た命の大切さ」

 私は解体実習をして、とてもつらかった。私は後半で、前半の人達が泣きながら鶏を殺しているのを見て、自分も涙が出てきて止まらなくなった。私は、絶対に泣かないと言う自信があった。しかし、自分の番に近付くにつれて、怖くて怖くてどうしようもできなくなった。ヒモで、手と羽を縛られている鶏を見ていると、卵だった時のこと、休みの日に餌をやりに行ったこと、今までのことが全部頭の中に浮かんだ。その瞬間また涙が出てきた。私は、「何でここまでして殺さないといけないのだ!」と思った。
 でも、今私はこんなことは二度としたくないと思ったけれど、この気持ちが大事だと思う。他の命の大切さを知った。そして、私達のために動物を殺してお店に出している人たちの気持ちを知ることができた。その気持ちは、とても複雑な気持ちなのだと思った。
 今、少年犯罪が多いが、今の私にはそのようなことは考えられない。もう、痛いほど、命の大切さを知ったから。自殺も今の私には考えられない。鶏の死ぬ時の怖さが伝わってきたから。絶対、この授業を体験した人達は、他人を殺したり、自殺を考えたりしたりしないだろう。しないと言うか、出来ないと思う。それは、鶏が自分の命を使って教えてくれたことだ。もし、この授業を体験した人が、犯罪を犯したら、あの時殺した鶏の命は無駄になったということだと私は思う。私は、犯罪を犯した人は、命の大切さを知らないのだと思う。きっとその人達は、「親」「友達」「動物」に、命の大切さを教えてもらっていないのだ。私は決して、少年達だけのせいだけではないと思う。もし、自分がこの体験をしなかったら、その少年達のような事を自分も犯していたかもしれない。本当にいい体験をしたと思う。

  命の重さを知るために
     1年2組16番 高田麻美

 9月から約2ヶ月間(孵化〜解体まで)育ててきた鶏を、明日は(12月8日)解体する日です。
 「人の命」と言うと何か重たい気がするけど、「動物や植物の命」と言うとそんなに重たい感じがしないというのが私の最初の考えでした。
 その考えが、だんだんと変わってきたのが、卵がきてから5日目と10日目に割卵した頃からでした。まだ、体の形もよくできていない卵を、割って出してみたら中から必死に生きようとしている、小さな、小さなひよこが必死に心臓を動かしていたのです。そして、その時私は、命という事を軽く考えていた事に気づきました。そして、割卵する事を気持ち悪いと思った私の考えがとても、恥ずかしく思えました。
 確かに鶏を育てたのは、私たち人間だけど、私たち人間も鶏などの動物などから命をいただいて日々成長していると言うことも、深く考える事ができたと思います。命の大切さを分かる事が、明日もっともっと体験してみて理解できたら、この実習は、私にとって、言葉ではなかなか言いあらわせない大きな物が身につくと思います。そして、私のこれからの人生で、とても尊い体験ができると思います。

  命の重さを知って

 12月8日に鶏の解体実習がとうとうありました。
 始めに捕獲して縄で羽と足を縛って、と殺する所まで行き、先生が手本を見せてくれて、いよいよ私たちの番が来ました。
 普段あまり緊張しない私の手が、とても震えていました。鶏の首をもった時には、もう何が何だかよく分からなくなり、ただただ「恐い」と、思っているばかりでした。なかなかあと一歩の勇気が出なく、何回もためらい傷を作ってしまい鶏には本当にかわいそうな事をしてしまいました。 
 今、私達と同年代の凶悪犯罪が、本当に増えています。ニュースや新聞でよく聞くけど、あまり深く考えた事が実際ありませんでした。しかし、この授業を通して、何で、「人を殺してみたかった。」と言う、たったこの一言でこんなに残酷な事ができるのだろうと強く思いました。私達が、授業でした事も変わらないじゃないか。と思う人もいるかもしれない。確かに私も初めはそう思っていました。『命の大切さを考えるため』と言いながら何で自分達で育てて、自分達で殺すんだろう、そんな残酷な事をして何で、『命の大切さ』と言えるんだろう。育てるうちに何度もそう思いました。
 しかし、この授業で、本当の『いただきます』の意味、『命の大切さ、尊さ』を自分の身を持って知る事ができました。そして、これからも、この気持ちは絶対に忘れずにいたいと思います。

  メチャクチャな気持ち
     1年2組17番 高松李奈

 今日12月7日は、鶏の解体実習前日です。私の心の中はメチャクチャな気持ちです。明日のことを考えると頭の中が真っ白になります。自分達が一生懸命育てた鶏を、自分達の手で殺して食べるなんて・・・
初めの方は、「どうにかなる!!」とか思っていたけど、私の考えは間違っていました。本当にどうしていいか分かりません。
この授業は、「命の大切さ」や「本当のいただきますの意味」を知るための授業と言うけれど、鶏を殺して本当に「命の大切さ」、「いただきますの意味」が分かるのか私には分かりません。確かに私達人間は、生きていくために動物や植物の命をもらって食べます。それはしょうがないことだと思います。だからと言って、授業でする必要はないのじゃないかと私は思います。でも、なんと言っても解体実習は明日です。どうにもなりません。
解体実習を終えて、私はどんな気持ちになっているのか不思議です。「命の大切さ」、「本当のいただきますの意味」が理解できていることを願います。今、私の本当の気持ちは、やりたくないです。でも、明日はがんばって勉強したいと思います。

  鶏の命をもらって・・・

 鶏の解体実習を終えて、私はいろいろなことを学びました。
鶏の首を切るとき、私はどうしていいか分からなくなり、泣いてしまいました。その時の気持ちを思い出すと、今でも涙がでてきます。本当に死にたいほど辛かったです。あの時、鶏はどんな思いで死んでいったのか考えると、悲しくなります。どうして、自分達で一生懸命育てた鶏を殺さないといけないのか、別に殺さなくても、死んだ鶏を買ってくればスケッチすることだって食べることだってできるのに・・・と私は思いました。
自分達で育てた鶏を殺して、スケッチして、食べて。初めは「なんでこんなに残酷なことをしなくちゃいけないのか!?」と思っていたけど、「鶏を殺す」という体験をして、先生達が私達生徒に伝えたかったことが分かったような気がします。
 この体験で、本当に辛い思いをしたけど、「命の大切さ」、「本当のいただきますの意味」を知ることができ、自分のためになったと思います。これから先、この体験で学んだことを活かし、すばらしい人間になっていきたいです。


  「解体実習について」
     1年2組18番 田川和典

 僕が食品流通科に入っておどろいたことはニワトリを育てて殺すという簡単なようで難しいことです。
最初は小さくかわいかったヒナがだんだん大きくなり羽がぬけかわり、とさかがはえてきて、声が変わってゆくのが日がたつごとにわかります。育すう器に入っていたころは、それほど飼育は難しくはなかったけど、育すう器からはなして飼育すると、とても飼育にてこずりました。ニワトリを飼育していてわかったことは、ニワトリはとても強い精神力と生命力を持っている動物だと思いました。
 ニワトリを解体するのはいやだけどこうゆう体験は一生に一度かもしれないので体験した方がいいのですが、やはり自分の育てたニワトリを殺すのはとてもつらいことだと思います。
今、人間が生きているのは動物や植物のおかげなので感謝しないといけないと思いました。

  「命の重み」

 解体実習を終えての感想はもう二度と解体実習をしたくないという気持ちと複雑な気持ちで言葉が出ませんでした。
 解体当日、授業が始まると同時に緊張しはじめました。時間がたつにつれてニワトリを殺す順番が近づいてきて、とうとう自分の順番がきて先生から包丁をわたされた時は体が震えました。ニワトリの首を包丁で切る時はとても悲しく、複雑な気持ちでした。血が流れる姿はあまり見たくありませんでした。そしてニワトリを湯に通して羽をむしりとりました。羽がなくなったニワトリは解体し内臓をとりだしてすみずみまで観察しました。解体して取れた肉は水たきにして食べました。食べる前に「いただきます」と言ってたべました。いただきますとは命をいただきますと言う意味でニワトリたちのおかげで人間が今まで生きてこられているのではないかと思いました。そういう意味で全ての物に感謝しなければならないと思いました。この解体実習を通して命の重みと命のすばらしさを学びました。この経験は絶対に忘れないだろうし、これからの役にたてたらいいなと思いました。

  「解体実習を迎えて」
     1年2組19番 田中杏奈

 明日は解体実習の日です。雛が生まれてから二ヶ月がたちました。雛が生まれる瞬間を見たときはとても感動しました。生まれたばかりのヒヨコは小さくてとても可愛かったです。ヒヨコは日が経つにつれてどんどん大きくなっていきました。ついこの間まではヒヨコだったのに今はもうニワトリです。とても成長が速いと思いました。
 今までがんばって世話をしたニワトリを明日殺します。命の大切さを学ぶ授業で、なんで殺さなくちゃいけないのだろうと思いました。自分達が育てたニワトリを自分の手で殺すのはとても辛いです。
 明日の実習では二人で一匹のニワトリを解体します。とても恐いです。
 今日の放課後、解体するニワトリを決めてカゴの中に入れて絶食させました。中にいるニワトリは今どんな気持ちでいるのかなあと思います。自分達が殺されると気付いているのじゃないかと思います。可愛そうです。
私たちは普段ニワトリやいろんな動物を食べているけどニワトリや、他の動物も食べられるために生きているんじゃないと思います。そんなニワトリを殺すなんてとてもいやです。
 明日の解体実習では命の大切さとはどういうことかを考えながら解体を行いたいと思います。

  「命の大切さ」

 今日はニワトリの解体実習がありました。とても悲しかったです。
実習室から鶏小屋に行くまでの時間がとても緊張しました。鶏小屋に入ってニワトリの羽と足をひもで結びました。ニワトリは自分が何をされるのかわかったのか、いつもと違う鳴き方をしていました。そして最後の体重測定をしました。私は今までの実習であまりニワトリを触っていません。今までは自分から進んで触ろうとは思いませんでした。私はとても後悔しています。でも今日は自分でニワトリをつかまえました。
 体重を計ってニワトリを持って実習室に行きました。もう最初の人達は終わっていてニワトリの首からは血が垂れていました。放血器にはたくさんの血がたまっていました。私たちの順番がまわってきました。とても緊張しました。「殺したくない」という気持ちでいっぱいでした。私は包丁でニワトリの頭をたたきました。次に頚動脈を切り放血器の中に鶏を入れました。血がいっぱい出ていました。そしてニワトリをお湯につけて羽毛抜きをしました。きれいに抜いてあげました。解体は脚、翼、胸骨部、内臓の順で解体していきました。そのあと内臓のスケッチをしました。そして自分達が解体した肉で水炊きにして食べました。
 私は実習をして良かった思います。この実習は絶対に忘れません。
 今日の実習でニワトリからいろんなことを学びました。「命の大切さ」と「いただきます」の本当の意味を学びました。人間も動物も命を大切にして生きていかなければならないと思いました。そして今まで私達が食べてきた動物に「ありがとう」と言いたいです。 

  「明日」
     1年2組 20番 田中 真里子

 私はニワトリが卵から孵化して、育ってきているのを観てきました。ニワトリが成長して大きくなったことで、解体実習の日が近づいて来るのを感じてきました。それが、明日あると思うと、とても短い期間しか育てることができなかったと思います。
 「殺すことで、もっと命の大切さを知ることができる」私自身、そのことを理解しているけど、ニワトリを殺すことが嫌で、恐いと思ってしまいます。しかし、解体することで、ニワトリを殺す意味や命の大切さをもっと理解できるかもしれません。
今まで、ニワトリを食糧として食べてきました。そのことについて、何の疑問もありませんでした。しかし、その疑問が今の私にはあります。解体することで、この疑問の答えも理解できるようになりたいと思いました。


  「命の大切さ」
 
 解体実習が始まりました。まず、先生がニワトリを殺すところを見ました。とても恐いものを見ているような気持ちになりました。私は先生がやったように殺さないといけないと思って見ていたけど、私は同じ事ができるか不安でした。ニワトリが死ぬ前に流した真っ赤な血を見てしまったことで、余計にニワトリを殺すことが恐くなりました。
とうとう、私の番になりました。私はニワトリに脳震盪させる係でした。肉冠の横を包丁の裏で叩かなければいけないのに、失敗してしまって、何度もやり直して泣きだしそうになりました。友達がニワトリの首の動脈を切りました。ニワトリが死んでしまったのに、どうしても泣くことができませんでした。
 きっと、殺したということをまだ理解できていなったからだと思います。羽をむしって解体している時に、やっと実感してきました。この事で解体した後、私は命の大切さを知りました。         
 私と同じくらいの年齢の人が起こす殺人や障害事件などは、私たちが体験した事をやれば絶対にやらないと思います。なぜなら、私はニワトリを殺した事で、生き物を殺すことを二度とやりたくないと思ったからです。

「ごめんね...」
                     1年2組 21番 辻 美千枝

 明日は鶏を解体する日です。今まで2ヶ月間みんなで卵の中にいる時からずっと育ててきたニワトリ達の命を自分達の手で奪います。始め一人ひとりに一個づつ卵が渡された時、卵が割れそうで恐る恐る持っていました。そんな小さな卵からフワフワのぬいぐるみのようなひよこが出てきました。丸っこくて可愛かったです。そして、どんどん大きくなっていってニワトリになって鋭い顔つきで怖いくらいでした。みんなで休みの日も、餌と水をあげにきました。怖くてあまり触れなかったけど愛着がありました。そのニワトリの命は明日で終わりです。そんなニワトリを殺すのはあたりまえのように嫌なことです。でも、その目的のために今まで育ててきました。殺すために育てるなんて変な事なのかもしれません。でも、生きていくためには必要なことです。でも、今もこの実習が正しいのかなんて分かりません。 

              「ありがとう☆」

 今日、私たちが卵の時から育ててきた鶏がいなくなりました。その命を奪ったのは私たちです。鶏を殺さないといけないと分かっていたけど、そんな事はやった事もないし話だけでは実感できませんでした。初めて実感したのは先生の見本を見た時です。先生は殺した時鶏の返り血をあびていました。その時、鶏を解体しなければならない事を嫌な位実感しました。私の足は震え始めました。泣いている人もいました。
 鶏を殺す時、少し私は、落ち着いていました。でも、鶏をなんのためらいなく殺せる訳ありません。私達の鶏は最初から暴れませんでした。それがもっと可愛そうでこの鶏を逃がしてあげたいと思いました。すごく時間がかかりました。3回位鶏の首に刃を入れました。なかなか力が入らなくて、精神的にきつかったです。
 あの時、あの鶏は何を考えていたのだろうか。それはちょっと分からないけど、この体験によっていろいろ考えさせられました。改めて、命と言う物は、すごく重い物で、無駄にしてはいけない事。でも、その命でこの地球上に生きている生き物は支え合っている。と言う事を認識しました。すごく大事な事なのに今まで、あまり意識してなかった事を、これからは、考えて活かして行こうと思います。あの時、命を奪ってしまった鶏にはすごく悪い事をしました。 鶏さん、ごめんね。でも、今は、私達に命をかけて教えてくれた鶏達に感謝したいです。ありがとう・・・・・

  「前日の僕の心境」
     1年2組 22番 手島 達也

 私は、最初に鶏の卵を先生にもらってどんなひなが生まれるのか期待しました。そして、孵化の日がきました。実習室に集まって、私は生まれて初めて鶏のひなを見ました。まだ生まれたばかりのひなは羽毛が濡れていて、歩き方もぎこちなくかわいいなぁと思いました。そして、ひなを初めて触りました。雛は手にのるほど小さく暖かみがあって、私はとてもうれしくなりました。
 それからひなを育すう器に入れました。私の班の育すう器は三段目になりました。雛に餌をあげる時、雛はすごい勢いで餌にむらがり、必死で餌を食べていました。そして、雛はすぐに大きくなっていって最初は42グラムだったのに1ヶ月後には、何倍もの大きさになってとさかも出てきました。そして、鶏に育すう器が狭くなってきたの私は鶏を広い小屋に移しました。12月に入り解体の予行練習がありました。まず鶏の羽と足をひもで結びました。その鶏のもがこうとする姿を見て、かわいそうになりました。
 明日、解体実習を行って、生き物の命を自分達の手で奪うことになります。いざ前日になってみると、何故今まで一生懸命育ててきた鶏の命を奪うのか分からなくなりました。明日、解体実習を行ってこのことについて考えていきたいと思います。

  「命を学んで」

 私達は、昨日捕まえていた鶏の羽と足をひもで結び動けなくしました。そして、解体実習室に運び先生達が手本として先に鶏の首を切りました。その光景を見て、私は足が震えました。前半の人達が解体実習を終えて、後半の私達の番がきました。最初は、鶏の首を持って包丁の刃の裏で鶏の頭を強く叩きました。私は脳しんとうで動かなくなった鶏の耳の下(頚動脈)を切りました。けれど、皮膚しか切れてなくまた切りました。私の手にはまだ暖かい血がついて鶏の命を奪ったことで罪悪感を感じました。そして、鶏を解体しました。最初はもも肉をとりました。鶏の解体していくうちに自分達が今まで食べていた肉がこうやって解体されて私達の所にきていくということがどれだけ大変だったのか実感しました。そして、掃除を少しやって昼食の水炊きを食べる前に「いただきます」といつもより命の重みを感じながらいいました。
 私は今の少年犯罪をテレビや新聞でみて、「人の命をなんだと思っているのだ」という気持ちになりました。一度失った生命はもう二度と戻ってこないということを、犯罪を起こした少年に分かってもらいたいと思っています。

  「生きてく強さ」
          1年2組23番 時 義明

 私は、ブロイラーの解体をするにあたり自分の気持ちは、ドキドキ感があります。それは、ためらいと初めての体験ということで緊張しているからです。
 今までブロイラーを育ててきましたがとても大変でした。体重を測り、餌やりや水替えなどをしてきました。1班5人で朝・昼・夕と分担してブロイラーの世話をしてきました。休日に世話があるときは、わざわざ学校に30分もかけて行きました。寒い日の水替えは、冷たくて嫌でした。
卵の時、孵卵器の中に入れて転卵していました。転卵も朝・昼・夕とクラス全員で1回ずつ分担して転卵させました。5日目と10日目の授業で割卵をしました。その時は、「命が亡くなったのだ」という実感がありませんでした。卵が孵化したときはとても可愛く思いました。
 ブロイラーは、解体されるために私たちに育てられてきました。2ヶ月も生きていられないのでかわいそうです。卵が孵化したときは、解体までだいぶあるなと思っていました。けど、いよいよ解体の日です。これから命の大切さについて学びたいと思います。

  「命の尊さ」

 12月8日にブロイラーの解体実習がありました。僕はブロイラーの頚動脈を切る役でした。だから、前日までに切る覚悟は決めていましたけど、本番では力がなかなかはいらずに切るのに苦労しました。
 まず、脳震盪をおこしその間に頚動脈を切りました。それは、あまり痛みを感じさせずにするためです。私は、切ったときの感触が残っています。多分、忘れないでしょう。とても残酷なことをしてしまったと思いました。でも、とても良い経験になったと思います。
 私たちがいつも食べている物は、すべて生き物です。私たちは、生き物の命をもらって生きています。だから、命を大切にしないといけないと思います。近頃の若者は、簡単に人を傷つけたり人の命を奪ったりしています。新聞で、「一度、人を殺してみたかった」と見たことがあります。最近でも、渋谷のほうで金属バットで通り魔をして人を殴ったりした犯罪者。それと、爆弾を造って、どこかの店の中に入れて爆発させた若者もいました。同じ若者として、そんなことは許されないことと思います。こんな体験をしたら、人なんて殺せません。
 かわいそうなことでしたが、実習でこんな体験ができていたと思います。

  命の『かけら』
     1年2組 24番 豊福知子

 私は、農業基礎の実習で、「命の誕生」を実感しました。私は、この実習で動植物に対する過去と今の考えが変わりました。人間は、必死に生きている動植物を簡単に殺したりするけど人間は「命」というものについて、どう考えているのでしょうか。
 9月20日、全員の手元に卵が渡されました。誰の卵か分かるように自分の名前を書き込み、元気に孵化するよう願いを込めて転卵器の中へ入れました。 
 それから5日後と10日後、卵の中身がどうなっているのか、やすりで削り割卵をしました。5日後の割卵では、赤い物体に黒い点があり内卵殻膜に血管が張っている状態でした。10日後割卵して皿に入れて観察したところ、胚が出来ており、心臓がまだ動いていました。しばらくして命が去りました。その時、私は命というものをその場で感じました。将来、生きるはずだった卵を犠牲にしてしまったので、放課後お墓を造り地へ返して上げました。
 転卵器に入れて21日後、殻を破り可愛い雛が誕生しました。殻を破って出てくる瞬間は何より感動です。生後、私達は休みの日も毎日学校に出て来て班で協力して餌と水を与えました。
 日々が経つうちに急成長し「ピヨピヨ」と鳴いていたはずの雛がいつの間にか「コッコッ」と鳴き始め鶏へと成長していました。
 解体する前日、「可愛そう」「殺したくない」「命の大切さを学ぶのに何故解体をしなければならないのか」といういう思いが私の気持ちです。

  『頂きます』

 12月8日、複雑な気持ちのまま、解体実習の日がやってきました。2ヶ月間世話をしてきた日々は私達にとってもブロイラーにとっても貴重な毎日だった事でしょう。
 鶏舎へ行くとブロイラーは、いつもと違う鳴声をあげていました。捕獲した鶏を上腕骨と脚を紐でしばり生体重(2.8s)を測りました。その時からブロイラーは落ち着きがありませんでした。
 実習室へ戻り、先生がと殺の手本を見せて生徒が順番にと殺を始めました。包丁でブロイラーの頭を叩き傷を入れているのです。とても可愛そうでブロイラーの血塗れな姿を見るのが精一杯でした。と殺の時は笑いも無く、笑顔が消え全ての人が真剣で涙を流す人もいました。
 ついに、私達のブロイラーのと殺の番がやってきました。ブロイラーは全身震えていて温もりを感じました。まず、脳震盪を起こし頚動脈の部分に包丁をあてました。私は言葉で表すことの出来ない複雑な気持ちのまま涙と悲しみを抱え、頚動脈を5回ほどで切り鳴声と共にとうとう命を奪ってしまいました。ブロイラーはとても痛かったと思います。
 解体の時がきました。脚、翼、胸骨部の部分を切断して、内臓の除去をし、臓器をまな板に並べてスケッチをしました。生きていたブロイラーの臓器は、2ヶ月前に割卵した時に比べて別物のように成長していました。全ての解体を終え、あの生きてたブロイラーは約5時間後に水炊きになっていました。命を頂いたので手と手を合わせ感謝の気持ちを込めて、「頂きます」と死んでしまったブロイラーに言いました。私達が育ててきたブロイラーの味は、店で買った肉とはいちだんと違った味で、とても美味しくて、味わいながら少しずつ残さず食べました。
 この実習を終えて、命の大切さを知りました。最近の報道で同年代の凶悪犯罪が多発しているが、そのような人達は、人権に対する想いや動植物に対する気持ちが不十分だと思います。だから、人間は簡単に生き物を殺したりするけれど、もっと生命というものに付いて真剣に考える必要があると思います。今回の実習で私にとってとても貴重な体験だったと思います。命を奪うという事はもう二度としたくありません。この思いは一生忘れる事はないでしょう。犠牲になったブロイラー『ゴメンなさい・・・・・』

  鶏の解体前日の気持ち
     1年2組25番 中島仁子

 私達は農業基礎という授業でニワトリを自分達で育てて最後はニワトリの解体をやります。
 9月20日に卵がきました。その卵を機械にいれて転卵という作業を行いました。
 けど、何日か経ってヒナが生まれる前に卵を破る割卵という作業を行いました。何か今まで見たこともない生き物が卵の中で動いていました。私は少しかわいそうになりました。私達がせっかく転卵をしてヒナがうまれてくるかもしれなかったのに途中で卵を破って殺すなんて、なんて残酷なことをするのだろうという気持ちがありました。しかも、割卵を2回もやりました。
 そしてヒナがすくすくと大きくなり日に日に、ニワトリの姿になってきました。雄はトサカが生えてきて、鳴き声まですごくごっつくなって、世話するのが大変になってきました。私はニワトリも少しずつ成長するんだと思いました そして、私達は明日ニワトリを解体します。今まで育ててきて、そのニワトリを解体するなんてかわいそうなことはしなくていいのにと、今も思います

  命の大切さを学んだ日

 私達は今日、ニワトリを解体しました。
 初め昨日捕まえていたニワトリの羽と脚をロープで縛りました。ニワトリはバタバタと暴れてすごい鳴き声を上げていました。縛るのがすごく怖かったです。
 次に、ニワトリの首を切ることになりました。私も友達も泣いて殺すことができませんでした。何回も首を切ったら可愛そうだというのは分かっているけど2回も包丁をニワトリの首にいれました。たくさん血が出てニワトリはバタバタ暴れていました。ニワトリが動かなくなりました。本当に自分が殺してしまったのだとすごく怖くなりました。死んだニワトリをお湯につけて毛をむしりました。ニワトリの毛はいっぱいあってむしるのは大変でした。そのニワトリを次は解体しました。
 そして解体がすべて終わり自分達の手で殺したニワトリを食べました。最初は食べるのにためらいがあったが、残したりしたらニワトリに失礼だと思ったから残さず食べました。
 ニワトリの解体を終えてやって良かったという気持ちと、やらなければよかったという2つの気持ちがあります。命の大切さを改めて感じることができたけど、ニワトリは私達に食べられる為じゃなくて精一杯生きるためにこの世に生まれてきたと思うからです。それは、人間もニワトリも同じだと思いました。今日のことを忘れずにこれから私達が生きていく中でいかしていこうと思います。今日死んでいったニワトリの分も精一杯がんばって生きていくことができるようにがんばろうと思いました。


  「命の大切さ」
     1年2組 26番 中村美樹
 
 私たちは明日、解体実習をすることになりました。命の大切さを学ぶことは大切なことだと思うけど、私たちと鶏は同じくらい大切な命を持っているのに殺されて肉にされるのはいつも弱い動物の鶏です。鶏は食べるために生きているのじゃないし、実習で殺してしまったら、その事を認めているようでとてもいやです。
 それでも人間は鶏の命を奪って肉を食べて生きています。鶏の肉を食べているなら、「鶏は食べるために生きているのじゃない」という意見はおかしいのかもしれないけどそんな矛盾した考えを持ちつつ、私は明日鶏を殺すことができるのだろうかと思います。何も知らない鶏を何で殺すのか意味も分からずに殺してしまってもいいのだろうかと思います。
 それでも明日やらなければならないのです。何が正しいのかも分からないし、言葉に表すことができないほどの不安や悲しみもあります。私たちが命の大切さをちゃんと知っていたら一度でも殺さなくてよかった命です。命は奪ってはいけない大切なものと分かっていてもそれでも殺したことがない私は命の大切さを知らないのだろうと思います。それを知るために明日殺される鶏の気持ちになってみたら、私は絶対殺されたくないし、何で殺されなければならないのかも分かりません。

  「大切な命」

 鶏を解体してみて思ったことは、やっぱり人間でも鶏でも命は同じくらい大切なもので絶対に奪ってはいけないものだと思いました。でも、人間はそんなことをいいながら鶏の肉を毎日のように食べているし、矛盾しているとも思いました。それでも鶏を「食べ物」と思いたくありません。
 解体実習の時は、鶏の肉を使って水炊きにして食べました。今思うと、あの時殺した鶏は、私たちが食べた水炊きの材料になるために命を落としました。逆にいうと私たちが水炊きにして食べなかったら殺される必要はなかったのだと思います。食べなければ約30羽の鶏は死ぬことはなかったしやっぱりあの時鶏を殺して良かったのか分かりません。鶏はどう考えても「食べ物」ではないし、食べられるために生まれてきたなんて可愛そう過ぎると思います。   私は、解体実習の時、首を切る役目だったけど、切ったときの感触や死を覚悟した時の鶏の目が今でも忘れられません。首に刃を入れる前まではあんなに暖かかったのに。考えてみれば命の大切さを初めて知ったのは解体する前の鶏を抱いていたその時でした。
 命の大切さを学ぶということではこの実習はして良かったのかもしれません。でも人間も鶏も同じくらい大切な命のはずなのに、人間が「実習」で鶏を殺しても良かったのでしょうか?私は鶏にとても可愛そうなことをしてしまったという気持ちが今も消えていません。鶏と人間、同じ大切な命でも生まれてきた境遇でこんなにも差があるなんて、鶏は可愛そうな存在だと思います。    解体実習を終えて命の大切さや「いただきます」の意味はよく分かったはずなのに私はどうしても解体をして良かったとは思うことができない気持ちでいっぱいでした。

  「前日」
     1年2組 27番 楢原 一美

 つい最近、入卵をしたように思えるのに12月8日の明日、いよいよニワトリを解体する日がやって来ます。入卵をした日は、まだ解体は先の方だと思っていたのに、もう解体の日になるとは早いと思いました。ふ化したばかりのひなは、小さくふわふわしていてかわいく、そのひながどんどん大きくなっていく姿が浮かんできました。ニワトリが1kgになってから、解体のことを意識していました。ニワトリを抱くと、とても温かく生きているのだと実感しました。ニワトリを解体する事を経験した方がいいのか複雑な気持ちです。でも、経験した方がいいと思っています。ニワトリの事を考えると可哀相になるけれど、すばらしい学習ができると思います。明日は、ニワトリの命を奪ってしまうので、しっかり命の大切さと向かい合いたいと思います。

  「命を断つ日」

 12月8日、自分が育てたニワトリを解体する日の朝、解体の事を考えると気持ちがすぐれませんでした。解体をうまくやれるのか、不安などの気持ちが複雑に入り交じっていました。
 実習が始まりました。説明などを聞いた後、鶏舎小屋に移動し順番に中に入りました。ニワトリをもらうと翼と足をひもで結びました。ひもで結ぶ時ニワトリがあばれ、殺される事が分かっているように思えました。ひもで結んだニワトリの体重をはかると2.5kgあり、あんなに小さかったひながこんなに大きく立派に育ってくれたと実感し母親のような気持ちになりました。と殺は、とさかの横を刃の峰でたたいて脳しんとうをおこさせ、耳の穴の下を包丁で切りすぐに逆さにしました。切口からは、真っ赤な血が出ていました。私の切り方が浅かったために長い時間ニワトリを苦しませてしまい可哀相な事をしてしまったと思いました。死ぬ直前に足が動き、その後動かなくなりました。もっと生きていたいという気持ちが最後まで出ていたと思います。血を出し終わったら湯につけてニワトリの羽や毛を抜きました。羽をむしっている時、ニワトリを抱いた時のぬくもりを思い出しました。だいたいの羽や毛をとり終わったら水の中で細かい毛などをとりました。きれいになったニワトリをまな板の上に置き解体をしました。先生の手本を見てから自分達でやってみました。やってみると難しくうまくできませんでした。ニワトリの臓器を見るとしっかりとしていて58日間でこんなにもできるなんてすごい生き物に思えました。臓器の観察をして、水炊きを試食しました。実習があっという間に終わったように感じました。自分達でさばいたニワトリを家に持って帰り料理して食べました。食べていると、生きていた時の姿が頭の中に浮かんできました。それでも食べないとニワトリに申し訳ないと思い食べると、とても美味しかったです。
 今回の実習で、いただきますとはとても大切な言葉だと実感したので、言う時は食べ物に感謝し、心を込めて言いたいです。命を奪う事は残酷だと思うけれど、体験してみて命とはとても大切な物だと改めて実感しました。食べたニワトリの第一の人生は、終わってしまったけれど食べた人間の体の一部として第二の人生が始まると思います。同年代の犯罪が多い中、ニワトリの解体という貴重な体験をする事ができてよかったと思います。命を奪ってしまったニワトリに一言言いたい「大切な命をありがとう」と。

  「にわとり」
    1年2組28番 延 雅之

 明日、とうとう今まで育ててきたニワトリを解体しなければならなくなりました。僕達は9月20日に孵卵器に卵をいれて、それから、3週間位で、孵化しました。生まれたての雛はとても可愛くて、ふわふわしてて、綿飴みたいでした。雛の成長はとても早く、びっくりするほど、大きくなっていました。孵化して、1週間後には体重が倍近く増えていて、とても大きくなりました。1ヶ月位たつと、もう育雛器の中では育てることができなくなるほど大きくなって、場所を移しました。場所を移してからもどんどん大きくなってあっという間にひよこではなく立派なニワトリになりました。このニワトリは生まれたばかりは42グラムしかなかったのに、2ヶ月位で、2、3キログラムぐらいまで大きくなりました。僕はこのニワトリや他のニワトリ達の成長にはとても驚きました。でも僕達は明日、このニワトリ達を殺さなければいけません、僕は、ハッキリ言ってとてもいやです。命の大切さを知るために育てたニワトリをどうして殺さなくてはいけないのか分かりません。とても矛盾していると思います。僕はこの2ヶ月間、卵から、育ててきたニワトリを殺すことに賛成できません。でも、自分が今こうして生きているのは、他のいろいろな生物達の命が糧となって生きていられます。だから、頑張って生きているこのニワトリを殺すことは、自分はいろいろな命をいただいて生きているんだという事を知るためのいい機会だと思いました。僕は、この解体実習は命の大切さを知るためのものだと思いました。 

  「命を糧にして」

 今日、僕達は鶏の解体実習が行いました。鶏の足と翼の部分を縄で縛って、動けなくして、実習室に連れていきました。鶏を解体するとき、女子のほとんどは泣いていました。みんな、自分達が一生懸命育てたニワトリを殺すことに抵抗があって包丁で首を切ることができませんでした。ニワトリの身体を一人がしっかり捕まえて、もう一人の方が頭を包丁の刃の逆を使って、叩いて、脳しんとうをおこさせて、首の動脈を切って血を抜かなくてはいけない。でも、みんな、恐がって腕を引いてしまうのでうまく切れなくて何回も切らなくてはいけなくて、とても、鶏がかわいそうでした。僕は、どうせ殺さなくてはいけないなら苦しませないで1回で殺してやろうと思いました。
 けど、自分の順番が近づくたびにどんどん恐くなってきて、その場から逃げたくなるくらいでした。けど僕はその気持ちを押し殺して、苦しめないでひと思いに首に包丁をいれました。ニワトリを殺した後、足が少し振るえていました。そして、首を切ってから、血が全部流れたら、お湯につけて、そして、羽を全部むしって、それから、からだを解体しました。最初にモモから切って、その次に手羽の部分を切って、次にササミをとって、次に内臓の部分をとりました。そして、それを食べられる部分と食べられない部分に分けました。そして、水炊きにして食べました。食べるときに、心を込めて「いただきます」とニワトリ達の命をいただきますと思って言いました。水炊きはとてもおいしかったです。
この経験はとてもいい経験だったと思いました。
 近頃、私達と同年代の17歳の少年犯罪がニュースや新聞やテレビでよく見かけるようになりました。きっとその少年達も私達のような経験をすればそのようなことはしないと思います。

  「鶏の気持ちになって」
     1年2組29番 野見山 繕照

 私は、解体実習についてはあまり気が進みません。それはなぜかというと、今は命がどれだけ大事かということを勉強しているのに、自分達が一生懸命育てた鶏を殺してしまうということだからです。
 私が鶏の気持ちになって考えてみると、とても悲しくなってきます。なぜかというと、卵から孵化したひよこは、最初から人間の手を加えられて育てられているからです。このひよこたちは、産まれた時から親の顔を見れなくてとても可愛そうだと思います。僕達人間もひよこも産まれたときは、親に暖かく育てられるのが一番だと思います。それが出来ないということは、とても苦痛だと思います。そしてひよこが育っていって鶏になります。この鶏達は、親がいない分、仲間達がたくさんいます。それはとても大事な事だと思います。でもやっぱり青空の下ですくすくと育っていくのが一番だと思います。

  「鶏から命をもらって」

 いよいよ解体実習を行う12月8日になりました。
 私の気持ちは、とても混乱していてパニックになっていました。それはなぜかというと、本当に自分達が一生懸命育ててきた鶏を殺してしまっていいのか、それで自分達が何を学べるというのかを、解体実習直前まで悩んでいて僕の緊張感がとても高まりました。                       
 そして解体実習がとうとう始まってTV局の人達や他の学校の先生方も沢山いらしてさらに緊張感は高まっていってあっというまに先生の説明が始まり、その後鶏を捕獲しました。その時は、あまりためらいはありませんでした。
 そしていよいよ「と殺」です。次々と自分達が育てた鶏を殺していって、みんなとてもためらって、泣いている人も沢山いて私はとてもドキドキしていて、はっきり言って恐かったです。次々とクラスの仲間が鶏を殺していって僕の順番が徐々に迫ってきました。私は、その時鶏はどんな気持ちなのだろう、鶏を苦しませずに殺せるだろうか、ということで頭がいっぱいでした。そしてとうとう私の順番が回ってきました。僕がまず包丁の切れないほうで頭を叩いて脳しんとうを起こさせます。でも私はその時とてもあせっていて鶏の頭をかすめてしまいました。二回目は集中して鶏の頭を叩いて脳しんとうを起こさせたけどとても痛そうで、可愛そうでした。そしてその後、私とペアをくんでいるもう一人の人が鶏の首の頚動脈を切ろうとしたけど一回では切れなくて二回目でやっと切れました。その時僕の頭は真っ白になりました。そして僕は放血器にいれたらすぐその場から立ち去りました。
 そして鶏の毛を全部むしり終わったらいよいよ解体します。先生からやり方を教わって次々と解体してとても難しかったです。私はその時とても複雑な気持ちでした。 
 そして僕にとって長い長い解体実習は終わりました。そしてなんとなくだけど「いただきます」という意味が分かったような気がします。私達は、二度とない貴重な体験をしました。僕にとってこの体験は、必ず将来自分の役にたつものだと思います。

  「鶏から学んだ事」
                      1年2組30番 日野 亮平
 
 12月8日、私たちは今まで自分達の手で育ててきた鶏の解体をして、自分らの手で命を絶った。今回の実習の目的は、「命の大切さ」また、「いただきます」の意味を学ぶ事だった。実習を行う前日、はっきり言って自分にはこの実習の意味が分からなかった。命の大切さを知るのになぜ命を絶つのか自分には分からなかった。この実習に自分は反対だったのだ。
 実習当日がきた。鶏舎にいき、自分の鶏を捕まえた。そのあと、自分の手で鶏の頚動脈に刃を入れ、命を絶った。育てるのはかなりの時間を要したのだが、命を絶つのは一瞬だった。なんとも言葉に表せない気持ちだった。
 私は、この実習をとおして多くの事を学んだ。まず思ったのは、人間は多くの生き物達の犠牲のうえに食物をいただき、生活している。僕らの食料になってしまった動物達に心から「いただきます」と感謝の気持ちを伝えたい。今回の実習で、ふだん何気なく言っている、「いただきます」の意味をよく考えさせられた。「いただきます」の意味とは、私たちのために犠牲になってしまった、生き物たちに心から感謝をのべ、また犠牲になった生き物のぶんもしっかりと生きるという意味だと私は学んだ。「いただきます」。その言葉を初めて心から実感する実習だった。
 あともう一つ思ったことがある。それは今回の実習からはかなりかけ離れてしまうが、今よくマスコミをにぎわしている「少年による犯罪」だ。その人達は「人を殺してみたかった」「むかついたから殺した」などと言う。はっきり言って私にはそのような犯罪を犯す人達の気持ちが分からない。命の大切さ、尊さがまったく分かっていない。もしもその犯罪を犯した人達が今回のような体験をしていたなら、そのような気持ちには絶対にならないだろう。
 最後に、私は初めは反対だったこの実習だけど、今は本当にしてよかったと思う。命の大切さを学ぶのに自分達で命を絶ったのだから、確かにいけないことをしたのかもしれない。でも、今回の実習をして初めて命の大切さを心から実感できた。自分達で卵から返し、元気な雛が生まれ、雛に愛情を一杯そそいでを育て、毎日毎日餌をやり、水を替え、力強く大きく大きくなっていく鶏を見てきた。命は大切だ。そんなあたりまえのことだけど、今回の実習で命の大切さをこれ以上にない仕方で実感できたと思う。私たちのために犠牲になってしまった鶏のぶんも、鶏のように力強く、これからもしっかりと生きていこうと思う。

  「貴重な体験」
     1年2組 31番 馬迫 和美

 私は、この久留米筑水高校に入って、初めてブロイラーを解体することを知りました。ひなのイメージは、黄色くて、毛がフワフワしているイメージでした。ふ化したひなは、イメージ以上にとても可愛かったです。その時は、解体実習はまだまだ先のことだと思っていました。解体実習前日、私はあまり実感がわきませんでした。60日近くみんなで協力して、一生懸命に育ててきた鶏を私達の手で殺さなければいけないという現実が迫ってきていました。

  「命の大切さ」

 私は、いままで「いただきます」と言う意味をあまり深く考えたことがありませんでした。ただ、小さい頃から、食べ物を食べる前の習慣のようなものになっていました。でも、この解体実習で身を持って「いただきます」と言う意味が分かったような気がしました。
 予定の時間より少し遅れて実習が始まりました。始まると周りには、小中高校の先生方やテレビ局の人が大勢いました。緊張が高まってきました。あっという間に、鶏の捕獲に行くことになりました。鶏は、すごく暴れ殺されるのが分かっているようでした。私は、一番初めにしなければいけませんでした。と殺は、悲しむ暇もなく終わってしまいました。でも、後から後からなのだか恐い気持ちや悲しい気持ちいろいろわいてきました。そして、羽毛抜きです。しかし、鶏はまだピクピクとお尻が動いていました。と殺の時の傷が浅かったのかもしれないと思いました。しばらく、見ていると、お尻と足が大きくピクピクと動きこれが最後の動きでした。なんだか今まで味わったことのない悲しく、複雑な気持ちで見ていました。そして、羽毛抜きです。次に解体をしました。血がたくさん出てきました。完全に血が抜けていなく、最後とても苦しかったと思いました。
 本当に解体してよかったのかなと改めて考えました。鶏にとっては残酷だったと思います。でも、この解体実習は、一生忘れないと思います。この体験で食べ物への感謝の気持ちや「いただきます」を言う大切さが分かりました。これからこの体験を生かして、高校生活を送っていきたいです。

  「解体前の私の気持ち」
    1年2組32番 増崎多香枝

 今日は、鶏解体1日前。今の気持ちはとても複雑な気持ちです。
“命の大切さ”を学ぶためにはしょうがないという気持ちと、せっかくみんなでここまで育ててきた鶏を殺すなんて……。という気持ちで複雑です。
 みんなで卵のときから一生懸命育ててきた鶏ですから、とても殺す気にはなれません。生まれた瞬間も見たし、休みの日も出てきてエサやり・水かえをし、成長記録も毎日つけていきました。とても愛着のある鶏に育っていて、本当に殺すのだろうか?とまだ実感がありません。明日もまたエサやりをしないといけない!という気持ちでいっぱいです。
 殺すのは二人で一羽。私が選んでつけた翼帯がついた鶏を殺すことになりました。とても悲しいです。鶏だって生きるために生まれてきたのですから……。私たちの一生はこんなにも長いのに、なぜ?鶏の一生はこんなにも短いのでしょうか。
 明日は、一生心に残る事業になることでしょう。“命の大切さ”の意味についてしっかり考えようと思います。

  「鶏から知った大事なこと」

 12月8日、私たちは鶏の解体実習をしました。朝から夕方までのまる1日作業で、鶏を解体するのは初めての経験で胸がドキドキしていました。
 解体するとき、始めに鶏の足と羽をロープで結び、鶏が動けないようにし、結び終えたらとうとう鶏を解体します。二人一組で殺し、私は鶏をおさえる係でした。まず鶏の頭を叩いて、そして首を切ります。頭を叩こうとすると、鶏は縛ってある羽を一生懸命動かして抵抗し、それをおさえるのはとても辛く、鶏を抱えているとき「いま逃がしたら鶏が殺されなくてすむ、逃がしてやりたい!」という気持ちでいっぱいでした。
 鶏の首を切ると血がだらだらと垂れてきて、鶏の顔はみるみるうちに赤く染まっていき、私は涙が止まりませんでした。
 鶏の血が全部抜けると今度は、鶏をお湯につけ毛をむしる作業です。毛をむしるとき、鶏が動かなくて鳴かなくて……。もう鶏は生きてはいないという実感がわいてきました。
 「鶏解体実習」は一生心にのこる実習となりました。この実習では、普段考えたりもしたい「命の大切さ」を改めて考えさせられたり、「いただきます」の意味を考えさせられたりと、貴重な経験ができたと思います。
 今私と同年代くらいの高校生が、平気で人を殺したりしていますが、わたしはそれが不思議で不思議でたまりません。その子達は何を考えて人を殺したりしているのでしょう?「命の大切さ」をもっと深く考えたら、そんなことは無くなるのではないでしょうか。私は、小さな命から学んだ大切なことを忘れない大人になっていきたいです。

  「ニワトリとの二ヶ月間」
       1年2組33番 増崎友里絵

 明日、とうとう鶏を解体する日がきました。卵のときから今まで育ててきた鶏を殺さなければなりません。
初めて卵を先生からもらったときはドキドキしていて、本当にこんなにも小さい卵からヒヨコがうまれてくるのか心配でした。不安や期待を胸に私は卵に自分の名前をかきました。それから転卵器に入れて約21日、卵からヒヨコがうまれてきました。卵の中からひっしに出てこようとする姿を見て感動しました。
 ふ化したヒヨコの足に脚帯をつけて育すう機に入れて育てました。それから日がたつにつれてびっくりするほど成長が早く、みるみるうちに大きくなっていきました。
 とうとう明日、今まで育ててきた鶏を解体します。私は命の大切さを知るためにはとてもいい授業になると思うけど本当は生き物の命をうばってまで命の大切さをしろうとは思いません。けれど鶏は命を張って私たちに命の大切さを教えてくれるのだから、私は明日という1日を大切にしたいと思います。

  「命の大切さとは‥‥」

 私は12月8日に鶏を殺しました。
 二人一組で一羽の鶏を殺さなければなりませんでした。鶏の足と羽をヒモで結び動けなくして、実習室に運びました。私が鶏を暴れないように押さえて、もう一人の人が鶏の頭を叩き脳震盪をおこさせ首を切らなければなりませんでした。鶏の頭を叩き首を切るとき、私の手は震え、どんどんしびれてきました。殺される鶏の方がよっぽど恐いのに、私たちに殺されるために生まれてきたわけではないのに、私たちの実習のために命を落とすことになった鶏の事を思うととても辛くなりました。今まで育ててきた命がなくなる瞬間涙がとまりませんでした。
 昨日までは「こんな授業はしないほうがいい、鶏がかわいそうでしかたがない」という気持ちでいっぱいでした。だけど今は鶏に命の大切さを教えてもらいよかったという気持ちで一杯です。本当はこんな授業をするより自分自信が命の大切さを知っておかなければならないと思うけど、私はこの授業を通して命の大切さを知りました。
 今までなにげに言っていた「いただきます」の意味、これさえも鶏に教えてもらった気がします。
今、同年代の犯罪が頻繁に起こっているけど、その人達がもし私達と同じ様な経験をしたら、きっと人を傷つけたりすることができないと私は思います。
 人間は平気で人や動物の命を奪っているけど、その動物に私たちはいろんな事を教えてもらっているということを忘れてはいけないと思います。

  「最後の日」
     1年2組 34番 松下 優衣

 12月7日、とうとう明日が解体実習の日になってしまいました。9月20日に入卵して休みの日も転卵をしに学校へ来て、卵がかえってヒヨコが生まれたときは、このヒヨコを殺す事は分かっていたけど、実感は全くありませんでした。
 うまれたばかりのヒヨコは、まだちゃんと立つこともできずふらふらしていました。エサをやればやるほどヒヨコはどんどん大きくなっていって、みるみる鶏の形になっていきました。時々エサをやり忘れた時もあって、ちょっと責任感が足りないところもありました。水やエサがからっぽになっていて、水を入れると群がるように鶏が飲みにきました。その時、鶏は殺されてしまうのだから責任をもって、最後まで世話をしようと思いました。
 まだ、明日鶏を殺すという感覚というか実感はありません。出来るか分からないし、できれば明日は本当にしたくありません。実際は明日にならないと何もわかりません。その時になれば、あっさり出来るかもしれないし、出来ないかもしれない。ただ、この実習が将来いい経験になればいいと思います。

  「大切な命をありがとう」

 8日の解体実習が終わって、とうとうやってしまったという気持ちでした。その日は朝から緊張していて落ち着けませんでした。鶏をひもで結ぶとき、練習でした時とは違って、とても暴れてなかなか結べませんでした。その時から鶏は何かを感じていたのかなと思うと、胸がちょっと苦しくなってしまいました。と殺を待っている時から、私は泣いてしまいとても出来ないと思っていたけど、鶏を見ると、かなりブルブルふるえていて鶏の方が何十倍も怖い思いをしてるのだと思って、しっかりしようと思いました。
 そして、ついに私達の順番になり、包丁を握りましたが、やっぱりすぐには切ることができずにずっとためらってしまいました。刃を強くおさえるところまでは出来るのですが、どうしてもその刃を引く事ができずに最後まで残ってしまい、早くしなければならないという気持ちと出来ないという気持ちが頭の中でいっぱいになり、かなり混乱してしまいました。そして、自分なりには勇気をだして、刃をひっぱる事ができたけど、やっぱり力が入らず切れませんでした。その後は先生に切ってもらってしまって、自分で最後まで切ることが出来ませんでした。でもその時の感触が手に残っていて、とてもいやでした。
 その後、最後に鶏を食べる時はじめは食べられないと思ったけど、ではなんのために鶏は殺されたんだと思って食べました。もうほとんど骨で食べられるところはあんまりなかったけど、おかわりもしました。そして鶏の命をいただきました。普段、普通にいただきますを使っていて、意味もなんとなく知っていたけど、この実習で本当のいただきますの意味が分かったような気がしました。今若い人達が犯罪をおこすのが多いけど、その理由は「一回人を殺してみたかった」などという馬鹿げた理由で人が殺されていて、そういう人達は多分自分の命も大切に出来ないと思う。命の重さを分かっていない。そういう意味でも、今回の実習で鶏にとても大切な事をいっぱい教えてもらいました。はじめは命の大切さを学ぶのにどうして命を奪わなければならないのか疑問でした。今も完全にいい経験をしたとは思えないけど、何年後、何十年後にあの時とてもいい経験をしたと胸をはって言えるようになりたいと思っています。

  「目を背けずに」
      1年2組 35番 松竹 美千代

 今日解体する鶏を絶食させるために他のかごに入れました。明日殺されるとは知らずにかごの中に座っています。とても悲しかったです。ちゃんと世話をしてきたかとかとかいろいろ考えました。もっとなにかしてあげることはなかったかといろいろ考えました。
 明日鶏を殺します。とてもいやです。自分達で育てた鶏を、育ててなくても生き物を自分の手で殺すのは、辛く苦しいです。命の大切さを学ためと言いながら、なんで殺さなければいけないのだろうと考えました。
 でも先輩達は解体をして良かったと言っています。自分が卵から育てた鶏を殺して良かったと思えるのはすごく授業、命の大切さをすごく感じられた授業だったのだろうなと思いました。でもやっぱり殺すのは辛いです。でも鶏を殺すことはかえられません、辛いけど目をそむけず殺さないといけないと思いました。そうじゃないと、殺される鶏に失礼だと思うからです。
    
  「命を奪うとき」

 今日鶏を解体した。毎日休みの日も出で来て世話をした鶏を殺しました。恐くて悲しくてたまりませんでした。解体は、2人組でします。
 実習が始まり私は不安と悲しみで心臓がドキドキしていました。周りを見ると鶏をもって帰って世話をしていた、小学校の先生が目を赤くしていました。すごく気持ちが解りました。悲しくて辛くて不安でそういう気持ちが解りました。
 そして、鶏小屋に絶食させておいた鶏を捕まえに行きました。かごの中の鶏は捕まえるといつも以上に暴れ、いつもと違う鳴き方をしていました。それは泣いているみたいで私を辛くさせました。
 それから羽と脚を縛り、体重を測りました体重は2.8キログラムでした、大きくなったなと思いました。始めに測ったときは42グラムだったのに2.4キロも増えていました。そのとき私は、うれしかったですこんなに大きくなって鶏といっしょにいた時間は長かったのだと思いました。だけどその成長は同時に鶏を殺すことにつながりとたんに悲しさがこみ上げてきました。
 実習室へ戻ると先生は鶏を殺していて、白い加工服に血がボトボトとついていました。すごく恐くなりました。死んだのだ、今度は私達が殺すのだと思いました。
 ついに私達の番になりました。始めにのうしんとうをおこさせるため、包丁の裏で鶏の頭を叩きます。何度も何度も叩きました。そのたび胸が苦しくなりました。早くおわらせてあげたいという気持ちと、お願いのうしんとうおこさずに生きていてという気持ちがありました。だけどとうとうのうしんとうをおこしました。
 次は首を切って血を抜きます。抱丁を耳の後ろにあて、おもいっきり引きます。なかなか動脈が切れず、何度も切りました。そのたびに私の心臓が鳴りました。恐くて悲しくて、言葉では表現できない気持ちになっていました。目を背けたかったです。でも目を背けたら、殺されていく鶏の方が可愛そうだと思いました。だから目を背けないでいようと思いました。そして包丁が鶏の動脈を切り、血が流れ始めました数分後鶏は動かなくなりました。触ると、まだあったかく生きていた頃の鶏が頭の中によみがえってきました。その後食べた水炊きはとても美味しかったです 私たちは動物や野菜の命を頂いて生きています。私はこの実習をして、思いました。食べ物として動物や植物の命を奪っているのは、生きているうえでしかたのないことだと思います。でも今、人間は意味もなく人を殺しています。それは仕方のないことではありません。解決できる問題だと思います。私は人が命を奪っていいときは、食べものとしてだけであると思います。


  「一緒に過ごした二ヶ月」
      2組36番 丸山 珠瑞

 12月7日。私は明日に迫った鶏解体実習について考えていました。この前に、足や羽を縛った練習をした時のことを思いだした。それは、予行練習のようなもので、ひもで足と羽を縛るという事で、私はその時はまだ殺さないから大丈夫という気持ちがほとんどだったので、特に緊張せずにやりました。しかし、明日は当日です。鶏を捕まえ、殺してしまいます。やはり今も実感はありません。先生は去年は「泣いている生徒がいました」といっていたけど、私には理解できなかったので、よく考えませんでした。考えた事は、鶏と一緒に過ごした日々でした。何故、先生はこれまでに「殺さないように」といって私たちに注意していたのに、殺すのだろうと矛盾だなと考えていました。明日はどうなるかとてもは想像がつきません。

  「鶏から学んだ命の重さ」

 8日の朝です。学校につき、とうとう今日なのだなと張り切っていました。いざ!!実習着に着替え、鶏をひもで縛り、なんだか、今までと違う気がしました。「あぁ、今から殺すのだ。本当に殺すのだ、私にできるのだろうか」と不安感が大きくなってきました。
 そして、鶏を抱いて実習室に行き、その時印象的だったのは、鶏がとてもあたたかくて、何だか生きているな、と思った事です。その時、ある場所に数人の人たちが沢山集まっているのに気づいた私は、呆然と立ち尽くしてしまいました。高尾先生が見本を見せていたからです。そうです、鶏の首を切って先生はその鶏の血を浴びていました。私は逃げたくなり、「できない!」昨日とはまったく気持ちが逆で、昨日は切れば終わりと軽く考え過ぎていたのかもしれません。私は思わず抱いている鶏を見ました。「見えているのかな、分かるのかな、本当に殺しちゃうのだ。嫌だ。何で殺すの?命を学ぶからって何で??」もう何がなんだか・・・。そして、友達も次々と首を切っていました。私はもう頭がパニックでした。みんな泣いていました。私はもう、涙が止まらず、抱いている鶏に「ごめん、ごめん本当にごめん。」謝っても謝りきれなくてくやしいし、悲しくてとても嫌でした。
 私の番・・・先生に押さえられ、私は鶏を見られませんでした。鶏は鳴きだし、暴れだしました。その抵抗が「助けて」というように聞こえて私は、もう泣くしかできなくて 謝っていました。その時間はとても長く感じられ、その後の羽を抜く作業は短く感じました。そして、水炊きを食べるときの「いただきます」を一生忘れません。「ありがとう」の感謝の気持ちを込めていただきました。 今、私は16歳です。私の世代は世間では恐いみたいな事を、言われています。人を殺して、平気に「殺してみたかった」など言っている若者が世の中にたくさんいます。しかし、私達は違います。この実習を通して命の尊さを心から学びました。
 もう、この実習をしたいとは思わないけど、私は体験してよかったと心から思っています。私達と同じ世代の人達にこの実習を知ってもらいたいです。きっと犯罪はなくなると思います。今、とても鶏に感謝しています。

  「命を考えた2ヶ月間」
       1年2組 37番 森永 和恵

 私はやはりこの解体実習をすることにためらいを感じています。初めて私が卵を見たときはそんなこと思いもしなくて、鶏を育てていくのだなというぐらいしか思っていませんでした。
 しかし、卵が来てふ卵器に入れて日ごとに転卵させていき、生まれる日が近づくと卵が生まれないのではないかと思い心配しました。生まれてはじめてひなを見た時はとてもかわいくてうれしい気持ちになりました。育すう器にいれて育て始めました。そうすると日ごとに大きくなるのがわかりました。班ごとに鶏を飼育しはじめると、接することが多くなり、自然と親しみが出てきました。
 そんなにして卵から育ててきたので解体をするのはやはりかわいそうだと思います。でも、この世に生まれてきた命をもらっているなんて普通に生活しているとあまり考えないし、実感もないと思います。しかし、卵の時から大切に育ててきた鶏を自分達の手で殺すという解体実習をすることによって命の大切を考えることになります。それはなかなかできない貴重な体験だと思います。

  「解体実習を終えて学んだ命の大切さ」

 解体当日になりました。学校に来るときもそのことを考えるといやな気持ちになりました。学校についていよいよ実習が始まる時間になりました。
 私達は一番にするということもあってとても緊張しました。いざ鶏を縛って持って行くととても恐くなりました。私は脳しん頭をおこさせなければいけなかったのですが何回やってもおもいっきりできませんでした。いよいよ切るときになるとすごく恐かったです。切られて放血器に入れられた鶏は足をばたばたさせていました。終わってその場を離れると手や足が震えてきました。血がぬけてしまうと頭が血で染まっていてかわいそうだと思いました。
 そのあとでお湯につけて毛をむしる作業をしました。毛はおもったよりも簡単にむしれました。ある程度むしってから水の中で残っている毛をきれいにむしりました。
 いよいよ解体が始まり、先生の手本をもとに解体を始めました。けれど解体は、初めての経験だったので、とてもむずかしかったです。解体が終わって水たきを食べる時は、自分達の育てた鶏を食べるということで食べ物のありがたさをしみじみと感じました。
 この実習を通して、思ったことは、私達の生活する上での食べ物のありがたさや、命をもらったことによる命の大切さを鶏から学べたことは普通の生活では、体験できない貴重な体験だということです。今、少年犯罪が多発していますが、この体験を通して、そのことを考えさせられました。この実習で学んだことをこれからの生活の中に生かしていきたいと思いました。

   鶏との二ヶ月間
      1年2組38番 諸藤みどり

 この解体の日が来るのは、とても早かったような気がします。実際にヒヨコから育てて休みの日も餌をやりに行ったり、掃除をしたり、体重を量ったり、始めは、「めんどくさい」と思っていたけど、していくうちに、行くのが楽しみになっていました。                              そんな風に苦労をして育てた鶏を殺すなんて、絶対出来ないと思います。
 今、鶏はまさか、明日自分達が殺されるなんて思ってもいないだろうと思います。だけど、毎日餌や水があるのに、今日は何もないから「何でだろう?」とか「少しヘンだなぁ」とか思っているだろうと思います。
今までヒヨコから鶏になるまで、飼育してきて、いろいろな体験が出来たし、とてもいい勉強や、いい思い出が出来たと思います。だから、明日の鶏解体実習を本当にやって良かったと思えるように、一生懸命悔いの残らないように、頑張りたいと思います。

  貴重な体験

 今日は、とうとう自分達の手で鶏を殺してしまいました。とても辛くて、悲しかったです。最初に、鶏小屋に行き、鶏の足と羽を紐で結びました。それから、先生達が首を切る見本を見せてくれました。私はその時から、涙がボロボロ出て止まりませんでした。私達の順番が来ました。私は、鶏をしっかり押さえようと思っても、手が震えて力が入りませんでした。やっと、首を切り終わっても、ずっと涙が止まりませんでした。
 鶏は痛そうに、ずっとバタバタと動いて、血を流していました。鶏には、痛い思いをさせてしまって、本当に悪かったという気持ちでいっぱいでした。
 私達は、今日、初めて食べ物を食べるときに言う「いただきます」という本当の意味が分かったと思います。
私達にとって、とても辛い事だったけれど、二度とない貴重な体験をしたと思います。私は、この日の事が将来自分の役に立つものだと思います。そして私はこの日の事を一生忘れないだろうと思います。

  「解体実習とは・・」
      1年2組39番 山崎倫明
 12月7日、今日は解体実習前日。私は、解体実習についてあまり興味や関心を持たない。それは、今まで育ててきた鶏を自分達の手で殺さないといけないからだ。
 最初、鶏の卵が来たときはこれが本当に孵化するのかと思ったけど、初めて孵化する瞬間を見て感激した。そして、朝、昼、晩、休日と餌をやってきた。それを自分達の手で本当に殺せるのだろうかと思う。今になって私は複雑な気持ちだ。鶏を殺すことは、命を大切にするいい勉強にもなると思う。今の社会では若年者による犯罪もおおいのでいい経験にもなると思う。鶏の解体実習は「いただきます」の意味も感じ取れると思う。せっかく久留米筑水高校の食品流通科に入ったので、生命の大切さ、命の尊さ、命を奪う時のつらさを考えて解体実習に取り組みたいと思います。そして、解体実習を終えてから「いただきます」の意味を感じ取ろうと思います。

  「解体の意味」

 12月8日、今日は解体実習当日。私は鶏の解体実習を体験してみて、良かったと思う。それは、生命の大切さ、命の尊さを学んだからだ。最初は、全然気にしていなかったけど解体実習に近づくにつれて違った気分があった。そして、その時がきた。私は、嫌な緊張感を持った。解体実習が始まり、鶏の羽と足をしばり実習室にもどった。戻ったときには、もう他の班の人がやっていたそれを見たとき私は、本当にできるのだろうかと思った。そして、自分達の出番を待っていると何か泣いている女子生徒を見て、自分も不安を感じた。鶏もそれを見て、逃げ回ったり、けいれんやふるえている鶏をみて、かわいそうだという気持ちが一層強くなった。そして、自分達の出番がとうとうやってきたまず、脳震盪をおこさせ、包丁で切る。私は、その時ふるえが立ちこめ、残酷な気分だった。鶏は、血が流れながらも、必死に動いていた。鶏の血をぬいた後は、お湯につけて、毛を全部ぬいた。その姿を見て、自分達がいつも食べているのを考えると複雑だった。その後、鶏を解体し、体の中を取り出しスケッチした。最後は、料理して食べた。その時初めて「いただきます」の意味を感じ取り、解体実習をやって良かったと実感した。だから、この気持ちを忘れず今度から過ごしていこうと思います。

  「解体一日前の気持ち」
       1年2組40番 横溝美香

 いよいよ明日は解体の日です。すごくドキドキしています。最初の卵をもらった事を思いだします。あの時はすごく嬉しかったです。そして卵がひなにかえった時に、私のが、割れているのを見て、とても嬉しかったです。生まれたときはすごく可愛いかったけど、今は、本当に鶏みたいになっていて、びっくりしました。でも生き物を育てるということは、とても大変だなと思いました。
 でも私が一番すごいなと思った事は、成長が早いと言うことです。やっぱり解体するのはいやだけど、自分がにわとりだとして考えるなら、やっぱりとてもいやだと思います。
 明日の解体は嫌だけど、お互い協力して頑張りたいと、思います。

  「鶏から学んだこと」

 今日私たちは解体実習をしました。朝学校に来て、実習服に着替えたとき、「あー今日は解体の日だ。嫌だな」と思いました。
 そして、いよいよみんなで、鶏を、縛っていたら、鶏が大きな声で鳴いているのを聞いて、とても可愛そくなってきました。
 そして、鶏を実習室まで運んだときに、高尾先生と藤吉先生が、みんなの前で解体をしていました。私はとても可愛そうで見ていられませんでした。 そしてみんなが解体し始めて、みんなの目から涙が出ていました。そして自分がやってみて、生き物を自分の手で殺すということは、どれだけ辛いことかが、分かったような気がします。私はやっと「いただきます」の意味が分かりました。いままで何も思わず言っていた言葉がこんなに大きな意味を表していることを初めて知りました。食べるときは味わって美味しくたべました。いつも食べているのよりも美味しかったです。私はこの学校にきてこのような体験もできてすごく良かったと思います。
 私は今回の解体で鶏から命の大切さと「いただきます」の意味を教えてもらったようなきがします。そして鶏にいろんな事を学んだような気がしました。
 そしてこのような素晴らしい体験を、心に刻んで、これからの生活とかに活かして頑張っていきたいと思います。そしてこの実習で私達人間は生き物にたくさんの事を学んでいるのだと思いました。



  『命の教育』
   −久留米筑水高校 食品流通科 1年生の皆さんと共に−

                   嘉穂郡庄内町立庄内小学校 教諭 永水 セキコ

 この度は、「鶏の飼育と加工・利用」の体験学習に一緒に体験させていただきありがとうございました。
 今年、私が勤務している庄内小学校では、6年生のあるクラスが、1学期末「総合的な学習の時間」に『おもしろ宿泊体験』と称して、鶏の解体をして自分たちの夕食づくりをするという体験学習をしました。解体する鶏と児童はそのときが初対面で、解体をしたときの児童の心の動きについては、話題にもならないくらい平静に近いものだったようです。その後、夏季休業中の校内研修会で筑後教育事務所の山口主任指導主事から、久留米筑水高校での体験学習の話を聞きました。「自分たちの手で卵から大事に飼育していた鶏をと殺して解体する体験学習と、初めて見る鶏を解体する体験学習との、学びの深さの違い」について、考えざるを得なくなりました。
 そのようなとき、9月14日のセンター研の終了時に、私たちが受けているこの講座の12月8日の研修が久留米筑水高校で行われることや雛を育てる体験を私たちも共にさせていただけることなどの連絡を聞き、その偶然に驚きました。
 さっそく、帰宅してから「私たちはいつでも好きなときに鶏肉を食べることができる。それは、私たちの代わりに他の人が鶏をと殺して解体してくれているから。私たちはこれからも、他の人が殺してくれた鶏肉は食べ続けるだろう。だから、この研修では自分が鶏を殺すのは嫌だということで逃げてはならないと思うから、家で鶏を飼うという申し込みをしたい。」と、家族を説得しました。いつもの私らしくない理屈が、思わず口から出ていました。
 これまで私が勤務してきた小学校にも、鶏小屋があって、鶏を数羽飼育していたこともありました。また、それらの鶏の世話をする飼育委員会(5〜6年生の児童の一部で構成している)の指導を担当したこともありました。けれど、それらの鶏を「かわいい。」と思ったことはなく、鶏小屋の中に入っても「つつかれそう・・・。」と考えながら私は必要以上鶏に近づくことを避け、ただ機械的な世話だけをしていました。ですから、鶏をこの両手で抱きかかえたことなどありませんでした。
 また、家でも、子どもたちから「犬を飼いたい。」と、せがまれたときには「まだ、(あなたが)小さいから、犬を十分世話してあげることができないでしょ。」という理屈をつけて断るなど、生き物の世話は面倒なことだと考えていた私です。
 10月28日に、久留米筑水高校に伺って高尾先生とお会いし、生徒さんが大事に育てている雛を2羽お預かりしました。食べるために・解体するために・殺すために、新しい命と出会うということを、私は、今回初めて経験しました。複雑な気持ちで雛を眺めたことを記憶しています。
 約1時間半車を走らせ家に連れて帰りました。帰り着いてから、これから6週間どのように雛の世話をしようかと、あわてて考えました。
 結局、若いころ大工をしていた隣のおじいちゃんに、90×60×45cmの鶏小屋を作ってもらうようにお願いしました。次に、子どもたちが赤ちゃんのころに使っていた古い電気あんかを2個探し出してきました。そして、イタチなどの外敵や寒さから雛を守るため、玄関で飼うようにしました。
 鶏小屋の中に敷くオガクズは、庄内町の生活体験学校に相談し、馬小屋用に保管してあったオガクズを分けていただきました。オガクズの量があまり多くはなかったので、45g用のビニール袋にオガクズを分けて入れ座布団のようにして鶏小屋に敷き、シーツで包むような要領で新聞紙を4〜5枚重ねてその上に敷きました。その新聞紙は、毎日朝と夜に新しいものと交換するようにしました。
天気の良い休日には、夫は子どもたちにも手伝ってもらって鶏小屋を玄関の外に運び出して、雛に日光浴をわせるようにしました。
天気が悪くて薄暗い日には、玄関の蛍光灯を昼間もずっと点けて明るくしておくようにしました。
 初めの1週間くらいの私は、鶏小屋の掃除も世話も下手だったので、もたもたしてばかりでした。このころの世話を投げ出さずに続けていた私の心の中には、「12月8日までの辛抱だから・・・。あと、6週間なんだから・・・。」というような(何とも申し訳ない)意識があったように思います。
 次第に、鶏小屋の掃除も要領よくできるようになり、雛の体が、本当に毎日、少しずつ成長している変化を実感していくうち、私の心に、義務的に育てているのとは違う別の感情が芽生えてきました。
 2羽とも雄だったので、日に日に鶏冠が膨らんできました。3週目ごろから、早朝には、
「コーッ・・・、・・・、コーッ・・・。」と声を出すようにもなりました。なかなか、上手に歌えるようにならず、11月末頃になって、ようやく「コケ、コッコ・・・。」と、歌うことができるようになりました。それからは毎朝、決まって、6時15分頃に1回、6時30分頃に3回ほど歌いました。初めて鶏が歌ったときには、2階でまだ寝ていた小学5年生になる息子の耳にも鶏の声が届いたようで、あわてて起きていきました。
 鶏のほうも、人間不信の感情を持っていなかったようで、私や家族や来客などの人影が玄関に近づくたびに鶏小屋から顔を出し、首をかしげて私達を見るようになりました。
 鶏小屋の掃除をするときには、掃除が終わるまで2羽の鶏を庭に放していました。毎回、ばたつきながら抱きかかえられて庭に放されていた鶏たちも、日を重ねるうちに、静かに抱っこされるようになりました。また、庭でもうろうろすることが少なくなり、ひとりでに玄関に戻ってきて鶏小屋の掃除が終わるのを待つようにもなりました。
 鶏の糞のにおいが玄関中に漂うことだけは、ずっと我慢するしかないと考えていたのですが、世話を続けているうちに、朝起きてすぐの糞と日が暮れてする糞の臭いが強いことが分かってきました。そこで、鶏小屋に敷いている新聞紙を交換するタイミングもつかみ、玄関の臭いも快適さが保てるようになりました。
 もう、糞を素手で摘むことも平気にできるようになってきました。コロンとした糞が出たときには、「立派な糞をすることがきたね。できしたぞ。」と、鶏を密かに誉めている自分に気づきました。こんな感情は、本当に久しぶりの感情でした。高校1年生になる娘や小学校5年生の息子が幼かったころ、オムツを換えるときに感じた気持ちとほとんど同じような感情が、この2羽の鶏に対しても湧いていたのではないかと思います。
 鶏の飼育をしている期間中に「食品流通科の1年生の皆さんと交流を持とう。手紙やメールなどに私がお預かりしている鶏の写真も入れて送ろう。」と幾度も考えました。けれど、とうとう1度も交流を持たないまま12月8日を迎えることになってしまいました。忙しかったのでそれができなかった、というわけではありません。元気に成長している鶏の様子をお知らせしないでいたら、「2羽ともうまく育てることができず残念な結果になってしまった。」という言い訳をする道が残るかも知れない。と殺・解体からこの鶏たちをこっそり救うことができるかも知れない。と考えるようになっていたのです。なんとも、卑怯な情けない気持ちです。
 私の家にいる鶏たちのすべての事情を承知している同僚から薦められた本を3冊、この6週間の間に、読みました。
 1冊目は、ある小学校教師が著した『いのちの授業』で、小学4年生の、鶏の解体の授業のことも書いてあり、久留米筑水高校の授業と重なるものが多い内容で、読んでいるうちに、私自身も持っている「人間のエゴ」に向き合うことを迫られました。
 2冊目は、心理学者が著した本で、たくさんの児童理解・「人」理解、カウンセリングをしてきた体験から考えられたことが書いてあり、その「人」が持っている未来の可能性を信じながら接することの大切さを改めて考えました。
 3冊目は、ホスピス病棟のある医師が著した本で、死期が迫る患者の家族へのケアについても書いてあり、鶏と別れるときの(私自身が鶏の命を絶つときの)心の整理をどのようにつけたらよいのかを探るような気持ちで読みました。
 12月8日が近づくにつれて、私や家族が玄関に座り込んで鶏の動きをじっと見つめる時間が長くなってきました。75歳になる私の母も、「鶏のことが気になって、じーっと見つめてしまうっちゃね。せないかんことがあるとに、なーにも手につかんとよー。」と、つぶやいていました。
 鶏は、やっぱり、日に日に成長を続けていました。鶏を健康な状態で12月8日を迎えさせてあげなければならないなんて、なんとも、おかしな矛盾が見えてきました。
 私は、これまで食材の買い物をするときに、価格よりも安全なものを求めてきました。それは、ある面では、「健康な状態でと殺されたもの」が安全な食肉であるということを私自身が考えていることでもあるのですね。
鶏の飼育を始めてから、買い物をするときの私の姿勢が変化しました。私の家では、二人の子どもが食べ盛りになったので、パックに入った肉類を買うときも、子どもの空腹を十二分に満たしてる肉が「余るくらい」たっぷりと買うようにしていたことの申し訳なさに、気づくことができました。
「少し足りないくらいの食材を買って、大事にいただかなくちゃ。肉を腐らせたりするくらいなら、この動物(鶏や牛や豚)は殺される必要なんてなかったはず。」と考えるようになり、犠牲になった動物の命のことを思いながら買い物の量を調節するようになりました。
 私は、12月8日の2日前から、涙がこみ上げてくるようになりました。私の涙などこれまでにほとんど見たことにない息子は、泣いている私に言葉をかけてくることもしきらず、ただそわそわと私の様子を心配して見ていました。
 前日には、学校でも鶏のことを話題にしないではいられなかったので、職員室で、親しい先生に話を聞いていただきました。そして、「鶏がかわいいなら、ひといきにしめてあげなさい・・・ね。あまり、苦しませないように・・・ね。」と、声をかけていただきました。
 前日の夜、鶏の絶飲食のために、餌と水を取り上げるときの忍びない気持ちは、たまらないものがありました。それから、玄関の灯りを消すまでのしばらくの間、玄関を私や家族が通りかかったときの鶏の動きが、餌をねだるような仕草をしているように思え、今でも、忘れることができません。
 12月8日は、6時30分過ぎに鶏を運ぶためのダンボールを玄関に置きました。ダンボールから飛び出さないようにするため、どんな具合に蓋を閉めようかと考えました。でも、蓋なんて閉めなくても、この2羽の鶏は、ダンボールから逃げ出そうとなんて、きっとしないだろうと思いました。もしかしたら、昨夜からの絶飲食のために力が弱っているかも知れない、とも思いましたし、庭に放しても自分から鶏小屋に戻ってくるくらいだから逃げだそうとはしないだろう、とも思いました。また、周りの様子が全く分からないような状態で車の音や振動を感じたら、鶏が恐怖心を抱くだろうし、せめて、ダンボールの天井を開け放しておいて、わずかな景色を見せてやりたい、とも思い、ダンボールの蓋は閉めずに車の後部座席にのせて家を出ました。鶏の支度より前に、夫が娘を車に乗せて学校に送っていきました。家に中には、まだ学校に登校する前の息子とわたしの母が、居ました。その二人に気づかれないように、私は、そっと鶏をダンボールに入れ、車に乗せ、出発することにしました。涙の別れをしたくないと考えたからです。
 でも、車を走らせると、こらえようとしても涙が溢れてきます。運転しながら涙を何度も拭い、できる限り、鶏にやさしい運転を心がけました。
 筑水高校での一日は、短い一日でした。そのときの心情をうまく表現する言葉が、どうしても見つかりません。
 もう息の絶えてしまった鶏であっても、私には、かわいいい鶏です。「羽をきれいに取ってあげたい。血だらけの首のあたりもきれいに洗ってあげたい。」と思いました。羽を取りながら、解体をしながら、何度も鶏の頭をなでてあげました。
 鶏を水で洗っているとき、一瞬だけ、無性に腹立だしい感情を覚えました。確か、トレーニング姿ではなくスーツを着た女性が近づいてきて、隣で水洗いをされている鶏に少し手を触れて、すぐその手を引っ込めた様子を見てしまったときです。「死んだ鶏に、失礼でしょ!」と叫びたくなるほどの怒りが込み上げてきました。
そうしているうちに、まわりで「参観だけ」をしておられる方々のことも、人間の誰もが持っている「他人事の感覚」「冷淡さ」を体現してくれているような光景に見えてきました。
 水炊きを食べるときは、「食べてあげなくちゃ。」という思いで食べ始めました。
 口に広がる極上のおいしさを噛みしめながら、いただきました。
 帰りの車は、寂しいものでした。何も物音がしないのです。
 「チュッチュン、チュッチュン。」
朝、出かけるときまで聞こえていた鶏の声が、もう、何も聞こえません。ただ、私自身が解体した鶏肉だけが、ビニール袋に入って、置いたとおりに、じっとそこにありました。何も語らない肉片になってしまった鶏と一緒に、来た道を戻りました。途中、何度も車を止めて泣きました。
家に帰り着くとすぐに、鶏小屋の最後の掃除をしました。そして、台所で鶏肉の仕分けをしました。鶏肉を「せいいっぱい、おいしく」いただくために、その日は、鶏肉を少しだけ料理するようにしました。7切れほどの唐揚げを5人の家族で分けて食べました。他の鶏肉は、無駄にならないように、小分けして冷凍しました。
 その唐揚げを食べるとき、小学5年生の息子は、「食べきらん・・・。」と言い、ためらっていましたが、高校1年生の娘が、「一緒に食べよう。」と、声をかけてなんとか食べることができました。
 片づけをするときに、娘に唐揚げの味がどうだったか尋ねました。
 「おいしかったよ。でも、セツナイ味がしたよ。」という、言葉が返ってきました。
 セツナイ・・・。
 そうでした。この日の心情を言葉で表現するとしたら、これが最もふさわしい言葉でした。

 希望を!